≪夕食の時間≫


 朱夏の両親は小さな法律事務所を開いている。
 その為、仕事が忙しい時は夜も帰ってくるのが遅く、必然的に朱夏が夕食を作る。
 兄の春秋も同じ事務所で働いているが、そうすると朱夏が一人で夕食を食べる事になってしまうので、彼は絶対に早く帰ってくるのだ。
 だから絹川家の夕食は大抵、朱夏と春秋の二人きりだ。


「……」
「……朱夏?」
「……何」
「……何でそんなに不機嫌なんだ……?」
 朱夏はいつも、食事中でも結構話す方なのに、この日は黙々と食事をしていて。
 明らかに不機嫌なのが見て取れた。
「……愁が悪い」
「は?」
「……」
 朱夏は一言だけそうポツリと呟いただけで、また黙ってしまった。
「……えーっと、朱夏?最近よく、その“愁”って名前聞くけど……彼氏か?」
「うん」
「ケンカしたのか?」
「……だって、愁が悪い」
「でも、このままじゃ嫌なんじゃないか?」
「……うん」
「で、ケンカの内容は?」
「……今度のデートで見る映画の内容」

 朱夏が言うには。
 見たい映画を言ったら、それは絶対に見たくないと言われたらしい。
 その映画の内容というのが純恋愛ストーリーで、カップルで見るのが最適、と言われているぐらいなのだが。
 そんなに見たいなら一人で見ろと言われて。

「私は愁と見たいのに……一人で見ても意味ないよ。なのに愁のヤツ……」
「うーん……そういう恋愛系が苦手な男もいるからなー……」
「それは、そうだけどさ……」
「じゃあさ、“どうしても恋人の貴方と見たい”って言ってみるとか」
「恋人って所を強調するの?」
「そう。まぁそれでダメなら、“女一人で見てもつまらないから、誰か男誘って見に行く”って」
「……男って誰」
「俺」
 春秋がそう言うと、朱夏は少しだけ微妙な表情をして。
「えぇー……兄貴と?」
「フリだよ、フリ。兄貴って言わずに、ワザと他の男って言うのがミソなんだよ。大抵の奴なら、他の男と一緒に行かせる位なら、って自分が行くって言い出すだろうし。その後で、誰と行く気だったか聞かれたら、その時に“兄貴と”って言えばいいし」
「……余計こじれたらどうすんのよ」
「その時はそいつと付き合うのは止めた方がいいな。そんな器の狭い男、将来絶対後悔するし」
「……それは弁護士としての経験?」
「そう。結構いるんだよなー。“あんなに器の狭い男だとは思わなかった”って言って、離婚訴訟持ってくる人」
「“自分は浮気したクセに、人の事は束縛して”って?」
「そんな感じ」
 ふーん、と頷いて、朱夏は暫く考える。
「そういえば兄貴って、愁がどんな奴かとか聞かないね」
「そりゃあ、朱夏の話の内容から何となく」
「……反対とかしないの?」
「反対した所で、お前は素直に俺の言う事聞いて別れたりはしないだろ?」
「う……まぁ」
「それに、じゃじゃ馬のお前を相手に頑張ってるみたいだし」
「ちょっと待て」
「何より、朱夏が選んだ相手だしな。お前ならしっかりしてるし、そうそう変な奴に引っ掛かったりしないだろうしな」
「……愁は変な奴じゃないもん」
「だろ?」
 そうニッコリと微笑まれ、朱夏は何も言えなくなる。

 九つ年の離れたこの兄は。
 どうにもお人好しで。
 時々、かなり彼に甘やかされてるんじゃないかと思う。

「兄貴もそろそろイイ人見つけたら?」
「俺はもう少し後でもいいよ。それより、ちゃんと仲直りしなくちゃダメだぞ?」
「……分かってるわよ」

 話を聞いてもらって、ちょっとしたアドバイスをしてもらって。
 愁に対してトゲトゲしてた気持ちが、少しだけ和らいだのが分かる。

(……まぁ、兄貴はこれが長所でもあり、短所でもあるんだけどねー)
 ちょっとだけ、感謝した。


 次の日。
「あの、ね?愁……映画、なんだけど」


 愁が春秋の予想通りの反応をしたのは、また別のお話。


=Fin=