それは、李玖が千早に好印象を持ってもらおうと、努力していたある日。
「りっくん、やっぱり優しい。昔と全然変わらないね」
「そ、そうか?」
「うん、あの頃と同じ。私の大好きなりっくんと」
その言葉に、李玖は思わず言っていた。
「!……あの、さ。もし、千早が良かったら、だけど……俺達、付き合わない……?」
≪お猫様のお導き≫
そうして付き合い始めて数週間。
その日は、なんだか千早の様子が少しおかしかった。
何か言いたそうにして、でもすぐに口を噤んで。
「……千早。どうか、した?」
「え?……どうして?」
「いや、何か言いたそうにしてるから……」
李玖がそう聞くと、千早は意を決したように言う。
「あの、あのね?」
「うん」
「りっくん、本当に私の事、好き……?」
急にそんな事を言われ、李玖は思わず動揺してしまう。
「え、な、何で?」
「本当は、私の事なんか好きじゃなくて、みうちゃんが選んだのが私だから……」
「っ!?何でそれを……」
千早の様子がおかしかったのは。
誰かからそれを聞いたからだ。
猫目家の家訓、“お猫様が選んだ者と結婚する事”というのは、地元に古くからいる人になら結構知られている。
だから、どこから千早の耳に入ってもおかしくはない。
その事に焦って、李玖が言葉に詰まっていると、千早は泣きそうに顔を歪める。
「やっぱり、そうなんだ……」
「や、それは、その……」
「……っもういい!りっくんの馬鹿!」
「え、あ、千早!?」
走り去る千早に、李玖は暫くその場から動けなかった。
家に帰るなり、李玖はみうに泣き付く。
「みうさーん!やばいよ、マジどうしよう〜!」
「なぅ?」
「千早に嫌われたんだよ〜!みうさん、どうしたらいい?」
「……な〜ぅ」
だが、みうはうっとおしいといわんばかりに、プイとそっぽを向いてしまう。
「あ、ちょっとみうさん。何その態度。ちょっとは真面目に話を聞いてくれてもいいんじゃねーの?」
「な〜ぅ」
李玖の抗議の声も空しく、みうはそのままどこかへ行ってしまった。
「みうさん、見捨てないで……」
落ち込む李玖だが、母親から境内の掃除を命じられ、渋々と竹箒を手に境内へと出た。
その頃、みうはどこへ行ったかというと。
「みうちゃん……」
みうは千早の所へ来ていた。
「な〜ぅ」
庭で鳴くみうに、千早は苦笑を浮かべる。
「……今は、みうちゃんの相手をする気分になれないの。ごめんね」
千早としては、みうは複雑な存在だ。
李玖と付き合い始めるきっかけを作った存在。
……李玖の気持ちを疑う事になった存在。
千早は窓を閉めて、自室に行く。
「……な〜ぅ」
だけど、みうはずっと鳴き続けていて。
それはまるで、千早を呼んでいるような声に聞こえた。
「……みうちゃん」
とうとう折れた千早がそう声を掛けると、みうは鳴き止み、じっと千早を見上げる。
そうしておもむろに歩き出すと、少ししてからピタッと止まり、顔だけ千早に向ける。
「な〜ぅ」
付いてきなさい、とでも言いたげなその様子に、千早は溜息を吐いて外に出た。
前を歩くみうは時々振り返って、ちゃんと千早が付いてきてるか確かめる。
そうしてそこに千早がいると、また歩き始める。
「……」
行き先は千早には分かっていた。
十中八九、李玖の所だ。
これは、ちゃんと話し合えというみうの意思表示なのだろうか?
そうして鳥居をくぐり、石段を上った所で、だがみうは参道ではなく脇の茂みの方に行ってしまう。
変だな、と思いつつ千早はそのまま進もうとしたのだが。
「な〜ぅ」
「みうちゃん、りっくんの所に行くんじゃないの……?」
呼び止められ、仕方なく千早は茂みの方に行く。
みうは茂みの傍でちょこんと座っており、千早がそこまで行くと一度鳴いて、境内のある一点に視線を向ける。
「りっくん……」
そこには掃き掃除をしている李玖がいて。
みうは千早に向き直ると、もう一度鳴いた。
「な〜ぅ」
「えっと……ここで待ってろって言いたいの……?」
「な〜ぅ」
戸惑う千早に、みうは満足そうな返事を返すと、李玖の方へと歩いて行った。
「な〜ぅ」
境内の掃き掃除をしていた李玖は、その声に振り返ると、少し離れた所にみうの姿を見つけて。
「みうさん!どこ行ってたんだよ〜」
そう言いながら駆け寄る。
するとみうはその場にちょこんと座って、李玖をじっと見上げた。
「え、なに、もしかして話聞いてくれる気になったのか!?」
「な〜ぅ」
その事に、李玖はその場にしゃがんで話し始める。
「……千早がさ、ウチの家訓知っちゃったみたいで。“本当に私の事、好き?”って聞いてきてさ」
「な〜ぅ」
「そりゃ、確かに最初は一生独り身は嫌だから、とか思ってたよ?だって俺、千早の事、再会するまで男だと思ってたしさぁ」
李玖の言葉に、茂みの傍からこっそりと聞いていた千早はショックを受ける。
「りっくん、酷い……」
そうとは知らずに李玖は続ける。
「だけど接してる内にさ……千早の事、ちゃんと好きになっていったんだよ」
真剣なその言葉に、千早は胸が締め付けられる思いがした。
まさかみうに嘘を言うとは思えないから。
その言葉は真実なのだと分かって、嬉しかった。
「なぁ、みうさん。好きになるから運命の相手なのか?それとも、運命の相手だから好きになるのか?」
「……な〜ぅ」
それに何か問題でもあるの?と言いたげに鳴くみうに、李玖はムスッとした表情になる。
「分かんなくなるんだよ。みうさんがいなかったら、俺、千早の事好きになってなかったかもしれないって。だって、予め運命の相手だって意識してたから好きになった、
っていう事も考えられるだろ?」
そう悩む李玖に、千早はいてもたってもいられず、声を掛ける。
「りっくん!」
「え?あ、千早!?い、いつからそこに……」
「ごめんね。私、りっくんの気持ち、疑っちゃって……」
その言葉に、李玖はすぐに察する。
「みうさんが連れてきたのか……」
「あのね、私思うの。みうちゃんがいてもいなくても多分、遅かれ早かれこうなってたと思う。だって13年だよ?私達はちゃんと再会して、お互いに憶えてたんだもん。
それだけでもう運命だよ」
そうニッコリと笑う千早に、李玖はプッと笑い出す。
「なんだよそれ!ははっ、スゲーな千早」
「もー、笑う事ないでしょ?」
「だって、俺が悩んでたのがバカみたいじゃん。……ありがとな、千早」
「りっくん……」
「みうさんも。手間掛けさせて、悪かったな」
「な〜ぅ」
みうはやれやれといった感じで鳴くと、そのまま家の方に向かって行ってしまった。
「……みうちゃんて不思議ね。なんでも分かって行動してるみたい」
「そりゃあ、ウチのお猫様だからな」
さしずめ、これはお猫様のお導きなのだろう。
李玖は、そう思わずにはいられなかった。
家訓はただの切っ掛けに過ぎないから。
お互いの気持ちを、ちゃんと確認しよう。
そうすればきっと、迷わないですむから。
=Fin=