≪たまにはこんなひと時≫


 それはいつもの朝の風景。
「じゃあ幸花、行ってきます」
「行ってらっしゃい、龍矢さん」

 朝はいつも、龍矢の方が早く家を出る。
 学生の幸花と違って、教師である龍矢には授業前にも職員会議などの仕事がある為だ。
 本当は一緒に行ければいいのだが、幸花は事故のトラウマのせいで車に乗れないし、だからと言って一緒に電車通学はできない。
 従兄妹だという事を周りに公言でもすれば、それはまた別なのだろうが、二人は他にも色々と厄介な事情を抱えている為、公言する気は更々なかった。
 そのせいで学校内で二人が逢う事は稀だ。
 事情を知っているのは限られた先生方と、幸花の親友だけなのだから。

 だからこそ、玄関での毎朝の見送りは二人にとっての日課になっている。
 そうして龍矢を見送ってから、幸花は自分も登校する準備をする。

 だがこの日はいつもと少し違っていた。
「さてと……あれ?龍矢さん、お弁当忘れて行っちゃった……」
 台所には、渡し忘れた龍矢のお弁当が、幸花の分と並んで残っていた。


 その日のお昼休みの時間。
「幸花、お弁当食べよ」
 そう声を掛けてきたのは咲だ。
 桃花は彼氏と一緒に食べるので、お昼はいつも二人で食べている。
 だが。
「咲ちゃんごめん、先に食べてて」
「どうかしたの?」
「コレ、届けなくちゃいけなくて……」
 そう言って幸花は、龍矢が忘れて行ったお弁当をこっそりと咲に見せる。
「……忘れてっちゃったの?」
「うん。だから……」
 苦笑しながらそう言う幸花に、咲は両手をポンと合わせて言う。
「じゃあ、二人で行こうよ。で、届けた後に、今日は外で食べない?」
「外、かぁ……うん、そうしよっか」
 咲の提案に同意して、二人はお弁当を持って数学教官室に向かう事にした。


 一方その頃、数学教官室では。
「……あれ?弁当忘れてきちゃったかな……」
 お昼を食べようと鞄を開けた龍矢は、お弁当がない事にようやく気付いて。
「何だ、昼飯ナシか?」
 直樹にそう聞かれて、龍矢は困ったように溜息を吐く。
「うーん……購買で何か買ってくるかな……」

 月羽矢学園には食堂もあるが、女子生徒達に囲まれてしまう為、あまり利用したくはない。
 購買に関しても、買いに行くだけで“一緒に食べましょう”とか誘われる。
 だからこそ、お弁当は必須だったのだが。
 忘れた自分が悪いのだから、自業自得だ。

「幸花からも特に連絡ないし、仕方ないか……」
 そう諦めて、財布を手に教官室を出ようとした時だった。
 コンコン、と控え目にドアをノックされた。
  「はい、どうぞ」
 そう声を掛けると、入ってきたのは他ならぬ幸花と咲で。
「「失礼します」」
 二人とも礼儀正しく挨拶をする。
「今は俺と直樹だけだから大丈夫だよ」
 龍矢がそう言うと、二人はすぐに緊張を解く。
「良かった。はい、龍矢さんのお弁当」
「持って来てくれたのか。ありがとう、幸花。今買いに行こうかと思ってたんだ」
「そうなんだ。擦れ違いにならなくて良かった」
 ニコニコと話しながら、お弁当を受け取った龍矢は幸花の頭を撫でる。
「で?二人で来たって事は、ついでにここで食ってくんだろ?」
 当然のようにそう言ったのは直樹だ。
 その言葉に咲は首を横に振る。
「ううん。ついでだから外で食べようかなって」
 だが、直樹は眉を寄せて言う。
「は?ここで食ってけばいいじゃねーか。どうせ昼休みが終わる頃まで誰も来ないだろうし、鍵でも掛けとけば大丈夫だろ」
 直樹の提案に、幸花と咲の二人は顔を見合わせ、龍矢は顔を顰める。
「直樹、お前な……」
「別にいいだろ。毎日来いって言ってる訳じゃないんだから」
 確かに、流石に毎日通えば誰かに何か勘繰られてもおかしくないだろう。
 だが、今日ぐらいいいか、とも思い直して。
「じゃあ、今日だけ一緒に食べようか?」
 龍矢がそう問えば、幸花も咲も嬉しそうに、満面の笑顔になる。
「いいのっ!?」
「学校でお弁当一緒に食べれるなんて、嬉しい……」
「じゃあ、そうと決まったら咲はそこな。龍矢、お前らはそっちだ」
 そう言って直樹はさっさと指示を出して、教官室内に設えてある対面式のソファの席を決めてしまった。
 席は当然、それぞれのカップルが同じソファに座るという形で。


 そうしてお弁当を食べ始めて数分。
「咲はおかず何か作ったのか?」
「あ、はい。この卵焼きを……」
「じゃあ一個貰い」
「あっ。……あの、美味しい、ですか……?」
「うん、美味い」
 目の前で繰り広げられる直樹と咲のいちゃつきに、龍矢も幸花も思わず箸を止めて呆然と見ていた。
「成程……咲ちゃんの前だとあんな風になるのか、直樹は」
「早坂先生、いつもと表情が全然違う……」
 すると、二人の様子に気付いた直樹がムスッとした表情で言う。
「フン。俺達はお前らと違って一緒に住んでる訳じゃねぇからな。既に老成した熟年夫婦みたいなお前らとは違うんだよ」
 直樹のその言葉に、二人は自然と顔を見合わせる。
「……老成した熟年夫婦……」
「確かに、学校じゃあんまり恋人らしい事はした事ないかも……」
 せいぜいあるとすれば、二人が付き合う事になった時にキスしたぐらいか。
 だからといって、直樹や咲がいる前で急にいちゃつきだすのもおかしな気がして。
 お昼休みの時間はそのまま過ぎて行った。


「そろそろ次の授業が始まる時間だな」
 時計を見て直樹がそう言うと、それぞれが片付けなどの準備を始めて。
「咲ちゃん、次の時間何だっけ?」
「えっと……確か古文じゃなかったっけ?」
「じゃあ教室移動はないね」
 その様子を眺めていた龍矢は、幸花を自分の机の所に呼ぶ。
「幸花、ちょっとこっち」
「なぁに?龍矢さん」
 傍に行くと、龍矢は一番下の引き出しから何かを取り出すようにしゃがんで。
 つられて幸花もその場にしゃがむ。
 そうすると、直樹や咲のいる場所からは死角になって。
 それを狙って、龍矢は突然幸花にキスをした。
 その事に幸花は真っ赤になって、小声で龍矢に抗議する。
「りゅ、龍矢さんっ。いきなり何を……咲ちゃん達に見つかったら……っ」
 すると龍矢も小声で返す。
「んー。でも、言われっぱなしじゃなんだし、たまにはこういう刺激もいいんじゃない?」
 そう言った龍矢の表情は、とても艶やかで。
 幸花は一瞬、ここが学校だという事も忘れてドキドキしてしまう。
 そんな幸花に龍矢はもう一度、今度は少しだけ深いキスをして。
「この続きは家でね」
 そう囁いた。


「幸花ちゃん?そろそろ戻ろっ」
 咲のそんな声が急に聞こえて、幸花は真っ赤な顔のまま立ち上がる。
 幸花は咲に対し、顔が真っ赤なのをどう言い訳しようかと考えていたのだが。
 よく見ると咲も真っ赤な顔をしていて。
 その隣には満足そうな顔をした直樹がいた。

 そうして教室に戻る途中、二人は暗黙の了解でお互いに何もなかった事にした。


=Fin=


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 ・向日 幸花(むかひ さちか)……月羽矢学園高等部一年。龍矢と一緒に住んでいて、家事全般をこなしている。

 ・盾波 龍矢(たてなみ りゅうや)……月羽矢学園高等部数学教師。幸花の恋人兼従兄。後見人でもある。

 ・生田 咲(いくた さく)……月羽矢学園高等部一年。幸花の親友。直樹とは恋人同士。

 ・早坂 直樹(はやさか なおき)……月羽矢高等部数学教師。龍矢の大学での後輩で同僚。


狸の仔様、大変お待たせ致しましたw
リク内容は、「龍矢と幸花のいちゃこら」という事でしたが、こんな感じでいかがでしょうか?
ご期待に沿うものであれば良いのですが……。
では、182000HITキリ番、おめでとうございます☆