それは、体育の授業中の事だった。
カシャンという眼鏡が落ちた音の後に聞こえた、バキッという音。
その直後。
「……あーーーっ!私の眼鏡ーーーっ!」
そんな絶叫が、体育館内に響き渡った。
≪必需品≫
体育を終えて教室に戻った時音は、一斉に注目を浴びた。
「あ!上条さん、眼鏡掛けてないっ!」
一人の男子生徒がそう声を上げた為だ。
そうしてすぐに、道行が時音の傍に寄って聞く。
「時音?何かあったのか?」
「……眼鏡壊れた」
「壊れた?」
「コレ」
時音が見せた眼鏡は、フレームが歪んでいるだけでなく、ポッキリと折れていた。
「……なんでこんな」
「……後で説明する」
そう言った時音の表情は、明らかに曇っていた。
そうしてお昼時。
いつものように時音は道行と遊菜と共に屋上でお弁当を食べながら話す。
「今日の女子の体育、バスケだったの。それで……」
その時の状況を簡単に説明すると。
ディフェンスの為に上げた相手の手が時音の眼鏡に当たって。
落ちた所に、別の子が丁度移動してきたのだ。
「怪我は?」
「してないよ。本当にちょっと手が触れただけって感じだし。眼鏡って結構簡単に落ちるんだね」
感心したように言う時音に、道行は呆れたように聞く。
「……運動時に眼鏡が落ちないように付けるめがねバンドはしてなかったのか?」
「そんなの持ってないもん。今まで大して必要性も感じなかったから」
「で?日常生活に支障は?」
道行はそう聞いたものの、特に問題はないように見える。
教室内でも普通に歩いていたし、今も問題なくお弁当を食べている。
いつもと違う所があるとすれば一つだけ、眉間に皺がかなり寄る程、目つきが悪いという事だろうか。
「文字とかは全く。今だって、道行とかの顔もぼやけてよく分からないし」
その言葉に道行は驚く。
「それでよく人とか物にぶつからないな」
「……確かに裸眼視力は0.1以下だよ?でも物の輪郭も色もちゃんと判別できるもん。ただぼやけて見え辛いだけで……」
不貞腐れたようにそう言う時音に、遊菜が首を傾げながら聞く。
「じゃあ、よく漫画とかである“メガネ、メガネ〜”って事にはならないの?」
「ならないよ!フレームの形とか色は分かるんだもん。そんな手探りで探さなくても、ちょっと周り見れば、立ったままでもどこに落ちてるか分かる時もあるし」
「分からない時もあるのか」
「フレームの色が地面の色と似た色の時だけね。それもしゃがんで見ればちゃんと分かるし」
「へぇ〜。そうなんだ」
納得したようにそう頷く二人に、時音は溜息を吐く。
「あーあ。帰りに眼鏡屋さんに寄らなきゃ」
「コンタクトは嫌なんだっけ」
「うん。目に直接入れるのもそうだけど、そのまま寝ちゃいそうで……」
苦笑しながらそう言う時音に、道行が言う。
「時音は眼鏡のままでいいんじゃないか?俺が時音に似合うフレーム、選んでやるよ」
その申し出に、時音は一瞬考える。
「レンズはそのまま使えるから、それに合う形じゃないと……」
「形?」
「うん。今の眼鏡と同じ形か、それより小さめだと、レンズを削るだけだからすぐに仕上がるの」
「……そうか、眼鏡のフレームも色々な形があるしな」
「なるべく早く仕上がってくれないと、毎回遊菜にノート借りなきゃいけないし、周りの視線が気になる」
それはただ単に物珍しさからくるものなのだが。
時音の言葉に、道行は僅かに目元に皺を刻んだ。
「……そうだな。まぁ、心配はないと思うが……早めに新しい眼鏡がある方がいいかもな」
「どういう意味?」
「眼鏡がないと、やっぱり危ないだろうしな」
「うん。そうだね」
時音は普通に頷いたのだが。
勿論、道行には別の意図があった。
眼鏡を外しただけで、人の印象なんて案外変わるモンだしな。
その分、いつもより目つき悪いから大丈夫だと思うが……誰かが時音に目を付けても面倒だし。
これ以上人前で眼鏡外した素顔を晒させるのも不快だ。
……時音の素顔は、俺だけが知っていればいい。
「眼鏡は必需品だよな」
「うん。ないと不便」
同じ意見のようで、全く違う意図があるという事に、時音が気付く事はないかもしれない。
=Fin=