≪鬼の撹乱≫
それは、いつものように学校に行く少し前の事だった。
道行からメールが来たのだ。
「メール?わざわざ……」
もう少ししたら一緒に学校に行くというのに、何の用だろう?
そんなのメールじゃなくても……。
そう思いながら時音がメールを開くと思いも寄らない事が書いてあった。
『熱があるから迎えに行けない』
「え?……はぁ!?」
その内容に、時音は慌てて電話をする。
『もしもし……』
「ちょっと!熱って何!?大丈夫なの?」
『怒鳴るな……頭に響く……』
電話口から聞こえてくる弱々しい声に、時音は慌てて声を抑える。
「ごめん……でも、本当に大丈夫?」
『あぁ……それより、学校……気を付けて……』
「うん。道行も、今日は大人しく寝てなきゃダメだよ?」
時音はそう言って電話を切ると、学校に行く。
学校では道行が休んだ事により、女子生徒の大半が騒いでいた。
「で?時音はお見舞いに行くの?」
お昼を一緒に食べている時に遊菜にそう聞かれて、時音は頷く。
「だって、行かなかったら後が怖いもん」
そう。行かなかったら後でどんなイチャモンを付けられるか分かったもんじゃない。
それに、何だかんだ言った所で、結局時音も心配なのだ。
朝、電話口で聞いた声は、明らかに弱々しい口調だったから。
「でも、久我君て病気とかしそうにないのにね。びっくりしちゃった」
「そうだよねぇ……あの腹黒俺様野郎が病気なんて……何かの前触れ?」
「何て言うんだっけ……あ、そうそう、鬼の撹乱!」
「あーそれ分かる!本当、意外だもん」
結局この日の昼休み、二人はそんな事ばかり話していた。
学校が終わると、時音は真っ直ぐ道行のお見舞いへと向かった。
道行の両親は共に、色んな所を飛び回って仕事をしていて忙しいらしく、週に数回のホームヘルパーを雇っている。通いのお手伝いさんといった所だ。
時音がチャイムを鳴らすと、すぐにその人が応対してくれた。
「あの、道行の具合はどうですか……?」
「昼間ぐっすり寝てらして、熱は今朝よりは下がったようですが……」
「そうですか……」
「申し訳ないですが、後をお任せしてもよろしいですか?」
そう言った彼女にも家庭があり、これから帰って家族の夕飯の支度をしなくてはならないのだろう。
その事を思って、時音は快く引き受ける。
「あ、はい。お疲れ様です」
「お台所にお粥の作り置きがありますので、お願い致しますね。千春様の分のお夕食はいつものように用意してありますので……」
「はい、伝えておきます」
千春というのは道行の妹だ。まだ帰ってきていないらしい。
時音は取り敢えず、道行の様子を見に行く事にした。
道行の部屋まで行くと、時音は念の為ドアをノックする。
「道行、起きてる……?」
だが返事はなく、時音はそっとドアを開ける。
部屋の中は薄暗く、シンと静まり返っていた。
時音は物音を立てないように、そっとベッドに近付く。
そうして覗き込むと、やはり道行は寝ていた。
その頬は多少赤く、吐き出される息も熱を帯びているようだった。
それが何とも色っぽいと思ってしまい、時音は自分の思考に慌てて頭を振る。
何考えてんのよ、私!
そうして気を取り直すと、まだ熱はあるのかと、道行の額に手を当てる。
すると、少し身動ぎして道行が目を覚ました。
「時音……?」
その声は掠れ、目元が熱のせいで潤んでいた。
加えて部屋の薄暗さに、時音は思わずドキッとする。
まるで、アノ時みたいだと――。
だが時音はその思考をすぐに振り払うと、道行に声を掛ける。
「ごめんね、起こしちゃった?」
「何で……ココに……?」
「お見舞いに決まってるでしょ?今は夕方」
「そうか……」
道行は少し考える素振りをすると、言う。
「……帰れ」
その言葉に、時音は眉を寄せる。
聞き間違いだろうか?
「道行?今何て……」
「帰れ……風邪が移る……」
道行のその言葉に、時音は少し嬉しくなる。
「私の心配してくれてるの?」
クスクス笑ってそう聞くと、鋭い視線が帰ってきた。
「……帰らない時音が悪い」
「え……」
一瞬、何が起こったか分からなかった。
気付けば時音はベッドの中に引っ張り込まれていて。
道行に組み敷かれていた。
「な、何で……」
突然の状況に付いて行けず、困惑している時音に、道行はクッと笑い声を漏らした。
「すぐに帰らないから……」
そう囁かれてキスをされ、思ったよりもだいぶ熱い吐息に、時音は一瞬クラッとする。
「ね、熱上がるよ?」
時音は慌ててそう言うが、道行は艶のある笑みを浮かべて言う。
「体内に籠った熱を発散させるには、軽い運動が一番だ」
その言葉に、時音は引き攣った笑みを浮かべる。
軽い運動?
どこが!?
そう思いながらも、抗議の声は道行のキスに飲み込まれてしまった。
その翌日には道行の風邪もすっかりよくなり、時音が何故か朝から疲れた顔をしていたのは、気のせいという事にしておこう。
=Fin=