≪じゃじゃ馬娘≫
「あーもうっ!何度言ったら分かるんだお前はっ!」
「……るっさいわねー!別にいいでしょ、このくらい」
「よくねぇ!ていうか言葉遣い!本当に何遍言わせるんだ!」
ここは如月(きさらぎ)家のとある一室。
ギャーギャーと言い合っているのは、如月家の令嬢、弥生(やよい)とその執事、長津利季(ながつとしき)だ。
「椅子に座る時は浅めに座る!背筋はピッと伸ばして、肩より下は力を抜かない!……何でそれができねぇんだ!?」
「ずっと気を張ってたら疲れちゃうじゃない!それに何の為の背もたれよ。凭れ掛かって寛ぐ為でしょーが」
そう言ってツンッとそっぽを向く弥生に、利季は溜息を吐く。
「全く、お嬢様ってのは肩書きだけみたいだな。生活態度にまるで気品がない」
すると弥生はその言葉にムッとして、眉を顰めながら言う。
「大体ねぇ……貴方は私の執事でしょ?主に向かってその態度は何よ!貴方こそ態度を改めるべきだわ」
「俺は執事兼教育係だ。品位の欠片もない今のお前に……」
利季はそこまで言うと一度言葉を止め、背筋をスッと伸ばして顔に微笑みを浮べる。
「……主たる資格はないと存じ上げますが」
突然の利季の豹変振りに弥生は、またか、と思う。
何故なら。
「今、よろしいかしら?」
軽いノックの直後、弥生の母親がそう言って入ってきたからだ。
「奥様。どうかされましたか?」
利季はそう言って、先程まで弥生に悪態を吐いていた事など微塵も感じさせない笑みを浮べた。
利季は近付いてくる人の気配を察するのが得意で、弥生以外の第三者の前では絶対にボロを出さない。
だから如月家の面々は、利季の事を礼儀正しい品行方正な執事だと思っている。
弥生は日々、それが悔しくてたまらなかった。
如月家は代々、上流階級として社交界とも係わりのある家柄だ。
その為、執事やメイドは昔から家にいた。
利季は父親が最近連れてきた弥生の専属執事だ。
教育係の方は、弥生のあまりの礼儀作法の上達の無さに呆れて辞めたばかりだったから、利季が申し出て兼任という形で今日に至る。
利季は勿論、最初から弥生に対して無礼な態度を取っていた訳ではない。
暫くは他の如月家の面々に対するのと同様の態度だったのだが。
「……お前、やる気あんのか!?」
ある日、そうブチギレてからというもの、態度がガラッと変わったのだ。
それからはもうスパルタ教育ともいえる日々で。
だがそのお蔭か、弥生も多少なりとも進歩はしていた。
「しっかし……貴方の豹変振りには毎度感心するわ。よくもまぁ、あそこまで猫が被れるわね」
「別に?人前に出る時に礼儀作法を完璧にこなせるんなら、自室でどう過ごそうが関係ねーよ。用はそういう事だろ?」
「……じゃあ私だって、今は自室にいるんだし寛いでも」
「お前は普段からちゃんと矯正しねぇと、今のままじゃ完璧とは言えねぇだろーが」
そのお小言に弥生はムッとするが、いかんせん利季の言う通りなので反論のしようがない。
「全く……社交の場に出た時に恥を掻くのはお前なんだからな?」
「……言われなくても、分かってるわよ」
「お前を嫁に貰うやつは大変だな。こんなじゃじゃ馬で」
「わ、悪かったわね、じゃじゃ馬で!」
そう言って弥生はフイッと横を向く。
すると、利季の様子がこれまでと変わった。
「お前、勿体ないぞ。言葉遣いも姿勢も、きちんとするだけで今より一層綺麗に見えるのに」
「……っ」
やけに真剣なその表情に、弥生はドキッとする。
だがすぐに利季は雰囲気を和らげ、肩を竦めて見せた。
「ま、それでも多少は最初の頃より良くなってるし?もう少し頑張れ」
「……気が向いたらそうするわ」
そう言いながらも弥生は、さり気なく褒められた事に嬉しそうに頬を染めた。
それから数ヶ月。
利季の根気よいスパルタ指導の元、弥生の礼儀作法はまずまずの成果を表していた。
「ま、これなら人前に出ても恥掻く事はないんじゃないか?」
「当然でしょ」
そう言う弥生は、傍から見たらとても優雅に紅茶を飲んでいる。
「当然って……まぁいいか。これでようやく……」
そう言いかけた所で、利季はハッとしたように口を噤んだ。
「ようやく……何?」
「いや……ようやく怒鳴る事もなくなったなと」
その言葉に、弥生は何だか腑に落ちない。
まるで何かを隠しているような、そんな感じ。
まぁ、だけど大した事はないだろうと、その場はそのままにしておいた。
だがその数日後。
「長津が……辞めた?」
朝、珍しく顔を見せないなと思っていたら、朝食の席で父親から利季が辞めたと聞かされた。
「そう……ですか」
自室に戻った弥生は、どうすればいいか分からなかった。
突然いなくなった利季に、ただ困惑するだけだ。
「私に何も言わずに……どうして……」
そうしてふと、数日前の事を思い出す。
「もしかして……辞めるつもりだった……?」
一通りの礼儀作法をキチンとこなせるようになったから。
だから、心置きなく辞められる、と?
「何よ……嫌なら嫌って……ハッキリ言いなさいよ……」
そう言いながら、弥生の目からは涙が零れていた。
「ふ……バカ……長津の、バカぁ……」
本当は、彼の事が好きだった。
好きになったのは、さり気なく褒められたあの時から。
それからだ。
どれだけ厳しくされても、音を上げなくなったのは。
どれだけ言い合いをしていても、話を素直に聞けるようになったのは。
怒鳴られると哀しくて。
褒められると嬉しくて。
一緒にいられるだけで、よかったのに。
その日は一日中、弥生は部屋に籠りっきりで泣いていた。
何をするにも手がつかなくて。
沈んだ日々を送っていた弥生の元に、縁談の話が来たのはそれからすぐの事だった。
「葉津(はづ)家の長男……ですか?」
「そうだ」
葉津家も如月家と同様の家柄だ。
相手にとって申し分はないだろうし、当然の相手とも言える。
とかく上流階級というものは、自分の意思で結婚相手を選ぶ、というのはまだまだ難しいのだ。
弥生は相手に会う準備を済ませると、鏡の前に立つ。
「……こういう時に礼儀作法をしっかりしないと、きっとまた怒られてしまうわね」
思い浮かべるのは他でもない、利季の姿だ。
「無駄にしては……ダメよね、やっぱり」
そう苦笑して、弥生は相手の元へと向かう。
せめて、礼儀作法を教えてくれた利季に恥ずかしくないよう。
完璧にこなそう。
「遅くなりました」
そう言って部屋に入った弥生の目の前にいたのは。
「お久し振りです、弥生さん」
「……え」
何故か利季だった。
「え……は!?何でココに……だって、葉津家の長男って……!」
「……言葉遣い」
「や、だって!」
礼儀作法の事なんかすっかり忘れて、弥生は混乱するばかりだ。
そんな様子の弥生に利季は溜息を吐くと、その場にいた弥生の両親に言う。
「お嬢さんをお部屋にお連れしても宜しいですか?色々と謝らなければいけない事もありますし……」
すると弥生の両親は快く頷き、利季は混乱したままの弥生を促して、彼女の自室へと移動した。
部屋に入ると、利季は開口一番謝った。
「悪かったな、驚かせて」
「全くよ!本当に……どういう事?葉津家の長男って……」
「そのままの意味だ。長津というのは偽名。本名は葉津利季」
「……何で偽名なんか使って、しかもわざわざ使用人なんかに」
弥生の疑問に、利季はバツが悪そうに答える。
「実は、縁談は前から決まっていたんだ。で、お前がどんなヤツか知る為に、如月氏に協力を仰いだ」
「な……」
「猫被られたら分かんないからな。使用人が一番都合が良かったのと……執事っていうのは昔は貴族の長男しか出来なかったっていうぐらい誇り高い仕事だからな。
ピッタリだろ」
「……悪趣味」
ようやく混乱が収まった弥生が不貞腐れたようにそう言うと、利季はニッと笑って言う。
「俺が急にいなくなって、随分と沈んでたらしいじゃねぇか?」
その指摘に、弥生は真っ赤になって否定する。
「そ、そんな事あるわけないじゃないっ!」
「素直じゃねぇなぁ」
そう言って笑う利季に、弥生はツンと顔を逸らした。
騙してたんだから。
せめて思い切り反抗してあげるわ。
簡単には“好き”って言ってあげないんだから。
でも。
ねぇ。
礼儀作法、頑張ったのは認めてくれる?
=Fin=