≪観光地で会いましょう≫
香保はちょっとした観光地の旅館で働く仲居だ。
オフシーズンはお客さんも少なく、比較的楽なこの仕事。
だが、行楽シーズンになると、その忙しさは半端ない。
目の回るような忙しさ、猫の手も借りたい、そんな言葉が次々と浮かんでくる。
その忙しい最中の行楽シーズンで、香保は一つだけ楽しみがあった。
「草下さん」
「あ、板海さん。お久し振りです」
「お久し振りです。今回もよろしくお願いします」
それは彼に逢える事。
板海鳴彦は、東京の旅行会社で働くツアーコンダクターだ。
主に自分が企画したツアーに添乗員として同行し、旅の一切を取り仕切っている。
香保が彼と知り合ったのは、数年前。
その時も鳴彦がツアーコンダクターとして、香保の働く旅館に宿泊して。
団体客の一人が失くした指輪を一緒に探したのが縁だ。
それ以降、年に数回、ツアーの宿泊先にこの旅館を選んでくれて、その度に顔を合わせている。
仲居という仕事も大変だけど、常に客と一緒に行動している鳴彦は、もっと大変な仕事なのだろう。
だが彼は真面目で誠実な態度を崩さず、いつも笑顔で仕事をしている。
そんな所に香保は好感を持ち、また、尊敬していた。
しかし、ある年の行楽シーズン。
鳴彦は一度も旅館に現れなかった。
「いつもなら、板海さんの所から団体予約が入ってもおかしくないのに……」
それがない、という事は、つまりツアーの宿泊先を別の旅館に変えたという事だろう。
その事に、香保は凄くショックを受けた。
旅行会社が、特定の旅館だけを贔屓にしないのは当然だ。
向こうだって、より良いサービスを提供するのが仕事なのだから。
だけど。
仕方のない事だ、とは思えなかった。
それはつまり。
香保は知らない内に、鳴彦を好きになっていたという事だ。
年に数回しか逢わない、しかも仕事上でしか話をした事のない相手。
名前と年齢と、勤め先しか知らない。
それでも。
好きになっていたのだと、いつもの時期に逢えなくて気が付いた。
「何やってるのかしら、私……」
気付いてももう、遅い。
鳴彦の事を忘れるように仕事に没頭して、ようやくオフシーズンになったある日。
久し振りの休みに、香保は買い物に出掛ける事にした。
寮を出て、街へと向かう道すがら。
「草下さん」
聞き覚えのある声に、香保は振り向いた。
するとそこにいたのは。
「え……板海、さん……?」
他でもない鳴彦で。
香保は一瞬、まだ仕事の疲れが残っていて、幻覚を見ているんじゃないかと思った。
「お久し振りです。……普段着の貴女にお会いするのは初めてですね」
だけど彼はそこにいて。ニッコリと微笑んでいる。
「ど、どうして……もしかして、お仕事中ですか……?」
そう聞いてはみるものの、鳴彦の格好は明らかに普段着で。
香保は訳が分からなくなる。
「今日は、僕もお休みの日なんです」
「あ……じゃあ、旅行に来られたんですね」
仕事でないなら、それしか思い浮かばない。
だが、鳴彦は首を横に振った。
「違いますよ。でも……貴女に逢いに来ました」
「え……?」
「実は、ずっと移動願いを出していたんです」
鳴彦は突然そう話し出し、香保は首を傾げる。
「今回、それが叶って……こっちの支社に転勤になったんです」
「じゃ、じゃあ……今はこっちに住んでいるんですか……?」
「ええ。なので、仕事でお逢いする事は、当分無いと思います」
その言葉に、香保は何故だか安心した。
その理由は多分、今回のシーズンで鳴彦が来なかったのは、別の旅館を選んだ訳じゃないと分かったから。
「ですから今度は、プライベートで貴女に逢いたいんですが……ご迷惑ですか?」
そう続けられた鳴彦の言葉に、香保は頭が真っ白になる。
今、この人。
何を言ったの……?
「香保さん?」
「っ!」
急に名前で呼ばれて、香保は顔を真っ赤にさせる。
「あああ、あの、板海さん?私、上手く理解できないんですけど……どういう事、ですか……?」
「……年に数回しか逢えない関係より、貴女と週に何度か逢う関係になりたくて、こっちに転勤してきたんです」
「それって……もしかして……」
「はい。年に数回、お仕事でしか逢った事のない貴女を好きになりました。……おかしいですよね、こんなの」
自嘲気味にそう言う鳴彦に、香保は首を横に振る。
「そんな事ないです!だって……私も、同じですから」
「同じって……」
「私も、板海さんの事が、その……好き、です」
香保が俯き加減にそう言うと、そっと手を取られた。
「では、これから少しずつ、お互いの事を知っていく事にしませんか?」
「はいっ」
そうして二人は、お互いに微笑み合った。
出会いはどこにでもあるものだから。
それをどうするかは、自分次第。
=Fin=