女の子が、泣いている。
『ゆーちゃん、どうしたの?』
『しーちゃん……ゆり、このうちのほんとのこどもじゃないんだって』
 そう言ってその子は、また泣き出した。
『だれがゆったの?そんなこと』
『……おうちのおねーさんたち』
『そっか……じゃあさ、おおきくなったらぼくとけっこんすればいいよ。そしたら、ゆーちゃんもほんとのかぞくになれるよ!』
『ほんと?じゃあ、しーちゃんのおよめさんになる!』
 そう、約束したのに。


≪君が傍にいる事≫


「夢、か……」
 意識が覚醒すると同時に静成はそう呟く。

 夢といっても、実際に過去にあった出来事だ。
 そして、その約束をした女の子は、今。

「静成様。お食事の用意が出来ました」

 あの時泣いていた小さな女の子は今、自分付きの使用人として傍にいる。
 それは、静成が望んでいた形ではなかった。

「……ゆりね。様は付けなくてもいいと、いつも言っているだろう」
「いいえ。そういう訳には参りません」

 静成の家は世間一般で言う上流階級に属している。
 その為、広い屋敷では使用人を何人か雇っている。
 ゆりねは元々その使用人の娘だ。
 ただ、ゆりねの両親は彼女が小さい頃に不幸な事故で亡くなっており、今は静成の両親に引き取られる形で屋敷にいる。

「……すぐに行く」
「分かりました」
 そう言って下がるゆりねに、静成は溜息を吐く。

 ……確かにゆりねの両親は使用人ではあったが、同時に静成の両親の良き友でもあった。
 だから、ゆりねの事も使用人の娘としてではなく、友人の忘れ形見として引き取ったのに。
 いつの頃からだったろうか?ゆりねが今のように、一線を引くようになったのは。
 同い年の自分達は、昔はまるで兄妹のように何をするのも一緒で。
 ……きっかけは多分、いつも夢に見るあのシーン。
 使用人達の立ち話を聞いたゆりねは、当時はその内容の殆どを理解していなかっただろうに。

「どうして……ゆりね……」
 静成はゆりねに様を付けて呼ばれる度に、やりきれない気持ちになった。


 その日の夕食の席で、静成はとんでもない話を聞かされた。
「見合い、ですか?」
 静成はもうすぐ大学生だ。
 だからだろうか?縁談の話が出たのは。

 静成に兄弟はいない。
 だから家を継ぐのは当然、静成という事になる。
 そうなると自然、政略結婚というものもあるのだが。
 それにしたって、男でもう縁談話が持ち上がるのは早すぎると思うが。

「嫌ですよ。俺の気持ちは知ってるでしょう」
 そう言って静成は、テーブルの空席を見る。

 昔はゆりねも一緒に食事を取っていた。
 だけど今は、この場にいない。

「知ってるわよ。でもねぇ……」
 それでもまだ難色を示す母親に、冗談じゃない、と思った。

 今時のご時勢で、家柄も身分もないだろう。
 何より、幼い頃から静成が想っているのはただ一人。
 それを知りながら縁談を持ってくるなんて……。

「勿論、ちゃんと断ったんだがね。向こうは前から静成が結婚できる年まで待っていたようで。それなのに見合いもさせないで断るなんて、と言って聞かなかったんだよ」
「……なら俺が、会ってちゃんと断ればいいんですね」
「頼むよ」
 だが数日後、この話が使用人達の間に変な噂として広まるとは、静成は思ってもみなかった。


 ゆりねがその話を聞いたのは、おしゃべり好きの使用人からだった。
「ゆりねちゃん!静成様、今度ご結婚なさるんですって!?」
「……え……?」
「今度の縁談をご承諾なさったんでしょう?まだお若いのに、相手はどんな方なのかしら?ゆりねちゃん、知ってる?」
「……いいえ……」
「そっかー。静成様付きのゆりねちゃんなら、知ってると思ったんだけどなぁ……相手がどんな方か分かったら教えてね」
「え、ええ……」
 嵐のように去っていた使用人仲間を見送ると、ゆりねはその場に立ち尽くした。
「静成様が……ご結婚……」
 そうしてゆりねはその足で、静成の両親の元へと向かった。


「失礼します、旦那様、奥様。お時間よろしいですか?」
「あら、ゆりねさん。どうしたの?そんなに改まって」
「……実は、折り入ってお話したい事が」
「まぁ、そんな所に立っていないで座りなさい」
「はい」
 ゆりねは勧められたソファに腰掛けると、話しを切り出す。

 丁度その時、部屋に入ろうとしていた静成は動きを止めた。
(ゆりね……?)
 そこで静成は、信じられない言葉を聞いた。
「……高校まで行かせて頂いて、こんな事を言い出すのは虫が良すぎるかもしれませんが……卒業したらこの家を出ようと思うんです」
「あら、どうして?」
「これ以上、旦那様と奥様にお世話になる訳には参りませんので、家を出て働いて、ご恩をお返ししようと……」
「それなら別に、今まで通りでも……」
「……私が静成様のお傍にお仕えしていると、ご迷惑が掛かりますので」
 その発言に、静成は思わず部屋のドアを開けていた。
「何だよ、それ!」
「っ……静成、様……」
「なぁに?静成。立ち聞きはよくありませんよ」
 だが静成は母親のその言葉を無視し、ゆりねの腕を掴むと部屋から連れ出す。
「失礼しましたっ!」
 そう言って、ドアをバタンと乱暴に閉めた。
 後に残された二人は、やれやれと溜息を吐く。
「これで上手くあの二人が収まる所に収まるといいんだが」
「ええ、全く」


「静成様っ!私、まだ旦那様と奥様にお話が……」
「うるさいっ!」
 ゆりねを引きずるようにして部屋を出た静成は、自室へと向かう。
 途中、使用人達が何事かと遠巻きに見ていたが、それらも一切無視した。

 そうして部屋に入ると、静成はゆりねを思いっ切り抱き締めた。
「静成様……っ」
 腕の中から逃れようと抵抗するゆりねを更に強く抱きしめ、耳元に口を寄せる。

「俺の事、そんなに嫌いか?」

「え……?」
「何で俺から離れようとする?何でお前、余所余所しくなっちゃった訳?」
「静成、様……?」
 そうして静成はゆりねから体を少し離すと、今度は真正面から視線を合わせて言う。
「俺がいつ、お前の事迷惑だって言った?親父達がいつ、お前に恩を返せなんて言った?」
「それは……」
「言ってないだろ?なのに俺達に一線引いて、他の使用人達みたいになって。誰もそんな事望んでないんだよ!」
「でも、私は……」
「使用人の娘です、って?違うだろ。親父達にとっては親友の娘、だ」
「……」
 暫く、沈黙がその場に流れた。

 静成はゆりねを再び抱き締めると、静かに言う。
「なぁ、憶えてるか?ゆりね、この家の本当の子供じゃないって分かって泣いた事があっただろ」
「……」
「あの時、俺言ったよな。“大きくなったら僕と結婚すればいいよ。そしたら、ゆーちゃんも本当の家族になれるよ”って」
「……」
「俺はあの時のまま、気持ちは変わってない」
「……っ……」

「なぁ、答えろよ……俺の事、どう思ってんだよ……」

 もう殆ど自棄だった。
 一度もきちんと伝えた事のない想い。
 伝えても、意味を持たないと思った言葉。
 きっとゆりねは身分の違いを理由に、本心を話す事なく断っていただろうから。

「……私、は……」
「ゆりね……俺はお前に傍にいて欲しい……」
「……静成様……私も、貴方のお傍にいたい、です……」
 ゆりねは静かに涙を流しながら、静成の胸元に顔を埋めた。


 それからというもの。
「静成様、お食事の用意が出来ました」
「ゆりね……様は付けるなと言ってるだろう」
 どうしても様を付けてしまうゆりねにそう言うと、ゆりねは真っ赤な顔で言い直した。
「あっ……すみません……静成、さん……」
「それと、もう使用人みたいな事はしなくていいと……」
 するとゆりねは、優しく微笑んで言った。
「私が……少しでもお傍にいたいんです」
「ゆりね……そうだな。傍にいてくれ」
「はいっ」


 幼い頃から抱えた想いは、お互い一緒で。
 ただほんの少し、すれ違っていただけ。
 細かい事を考えて気持ちを見失うより、素直になるのがきっと大切な事。

 君が傍にいてくれる事は嬉しいけれど、すれ違うのはやっぱり嫌だから。


=Fin=

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 ・影之宮 静成(かげのみや しずなり)……上流階級の家柄の子息。

 ・大庭 ゆりね(おおば ゆりね)……静成付きの使用人。


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