≪重なる想い≫
「初めまして。本日よりこちらに配属になりました、山ノ瀬明です」
そう言って皆の前で挨拶をする男。
だけど、朋子は彼を知っていた。
朋子の配属されている海外事業部に、新しい主任としてロンドン支社から来たのは、昔の同級生だったからだ。
明は一言で言うならイイ男だ。
それは勿論、顔だけの話ではない。
海外の支社を転々として、本社の海外事業部主任に28歳という若さでなった、将来有望なエリート。
しかも性格は誰に対しても分け隔てなく、個々の能力を尊重する。
しかしそれは朋子以外の人間にだけで。
朋子に対しては冷たく、そっけない態度だった。
昔、あんな事があったから――。
十年前、朋子は彼に告白された事がある。
誰もいない教室。
綺麗な夕焼けが校舎を染めていて。
だけど。
それは嘘だった。
答えは明日でいいと言った彼。
でもその直後に別の人間から知らされた。
――告白は罰ゲームだった、と。
「まさか、同じ会社だとは思わなかった」
朋子は仲のよい同期数人での飲み会の席でそう愚痴る。
「えー。主任と同級生だったってうらやましいけど」
「彼がいるって知ってたら、入社しなかったわよ」
実は朋子は明と同期入社ではない。
朋子は大学院の修士課程を卒業後、今の会社に就職した。
その頃にはもう明は海外の支社を飛び回っていたのだろう。一度も顔を合わせる事はなかった。
「私、嫌いだもの。彼には嫌な思い出しかないから」
それから数日後。
朋子は帰ろうとした所で、明に呼び止められた。
「新谷さん、ちょっと」
「……はい」
海外事業部には主任以上のクラスには簡単な個室が与えられる。
ガラス張りの部屋だが、任意に半透明に変えられるそこは防音性も高い。
「……何の用ですか、主任」
朋子がそう聞くと、明は吐き捨てるように短くハッと笑ってから言う。
「相変わらずだな。そんなに俺の事が嫌いか」
嫌味たっぷりにそう言われて、朋子はムッとする。
「嫌い。用はそれだけ?それなら帰らせてもらうわ」
相手を睨み付けながらそう言って、朋子は踵を返す。
だがその腕を強く、痛い程に掴まれた。
「……っ」
「本当、お前って最低の女だな」
嘲るようなその言葉に、朋子は泣きたくなってきた。
「最低なのはどっちよ!?罰ゲームだからって告白してきて、しかも付き合ってる彼女にそれを伝えさせるなんて!」
なのに何で自分が最低だ、なんて言われなくちゃいけないんだろう?
本当は。
ホントウハ――。
「……ったのに……」
「は?」
「あの時、告白されて嬉しかったのに……っ!」
ずっと好きだった。
だから、好きだと言われて嬉しかった。
それなのに……。
「ねぇ、私、貴方に何かした?気に入らない事でもあるの?あの時だって、今だって……」
悔しい。
何でこんな人を好きだったんだろう。
……何で、今も何かを期待しているんだろう。
再会してからも、自分にだけは冷たいのに。
悔しくて、哀しくて、惨めで。
朋子は目からボロボロと涙をこぼして泣いていた。
だが。
「新谷……それ、どういう事だ……?罰ゲームって何の事だよ」
そう言って、信じられないという表情をしている明に、朋子は表情を歪める。
「とぼけないで!どうせ私の事、陰で笑ってたんでしょ?嘘だとも知らないで、告白されて舞い上がってる馬鹿な奴だって!」
「待て、落ち着いてその時の事を詳しく話せ」
言われて朋子は思い出す。
『ねぇ、もしかしてさっき明に告白された?』
『あのさぁ。言いにくいんだけど……アレって実は罰ゲームなんだよね』
『告白の返事しても笑われるだけだから』
『それに、明にはもう私っていう彼女がいるから』
よく、一緒にいるのを見かけた子。
凄く親しそうに話してて。
ばっちり決めたメイクと甘えるような仕草の、可愛らしい女の子。
「……くっそ、マジかよ。あのアマ……」
話を聞き終わった明は、小さく忌々しそうにそう言って舌打ちし、朋子をきつく抱き締める。
「もうほっといて……これ以上私の心を掻き回すの、やめてよ……」
「ほっとけない」
そう言って明は朋子に視線を合わせてくる。
「いいか、よく聞け。あの時のあの告白。俺は本気だった」
「嘘よ……」
「嘘じゃない。あれはあの女がお前に嘘を伝えたんだ。第一、俺はあの女と付き合った事は一切ない。告られはしたけど断ったし」
「でも……あの後から時々、私の事睨んでた」
「俺も嘘を言われたんだ。“アンタから告白されるなんて気分が悪い。顔も見たくないし、直接話もしたくないから、人づてに断る”って言ってたって」
「そんな……」
じゃあ。
ずっとお互いに、嘘の情報ですれ違っていたのだろうか?
もしその嘘さえなければ、両想いで付き合っていた……?
「……最初は信じられなかった。想いを伝えた時、嬉しそうな顔をしていたと思ったから。だが、次の日から急に余所余所しくなって、明らかに避けられて……だから、俺は……」
「……久し振りに再会したのに、私にだけ冷たかったのも……?」
「初めて挨拶した時に、戸惑った表情で視線を逸らしたから……そんなに俺に会いたくなかったのかって」
「だってそれは……過去の事があったから……それなのに、あの頃よりますます格好良くなってて……」
「それは、今でも俺を好きって事?」
そう聞かれて、朋子は小さく頷く。
「……十年振りに逢って、もう一度貴方を好きになったの。……でもすぐに諦めた」
「それは……俺の態度が悪かったんだよな。ごめん」
「ううん。きっと、どっちかが悪いってワケじゃないと思うの。お互いに、気持ちがすれ違って……」
お互いに、相手は自分を嫌っているのだと思い込んで。
お互いに、相手に対する気持ちが歪んでしまっていた。
だけど。
「俺達、これからはすれ違わなくていいんだよな……?」
「……付き合ってる人とか、いないの……?」
「残念ながら、仕事が忙しくてな。これでも将来有望なエリートだから?そういうお前は?」
「……本当の事言うとね?あの後からちょっと、男の人が信じられなくなっちゃって。付き合っても長続きしないの」
「……それなら尚の事、俺が責任取らないとな」
そう言って二人はクスクスと笑い合う。
「十年すれ違ってた分、取り戻さないといけないね」
「じゃあまずは、一緒に食事でも行くか?」
「賛成」
ここからもう一度始めよう。
過去は変えられないけど、未来は創っていけるから。
「朋子」
「……明」
それは、時を越えて重なった想い――。
=Fin=