≪傍にいたくて≫


 春。
 新しい生活が始まる季節。

「あの人に……逢えるといいな」
 淡い期待を胸に、桃花は月羽矢学園の門をくぐった。


 桃花は辺りを見回して、目的の人物を探す。
「いないなぁ……やっぱりこれだけ人が多いと、見つけるのも難しいかな……」

 桃花が探しているのは、二年前に一度だけ会った人。
 自分が絡まれている所を助けてくれた人。

「こぐれとうごさん。あの時月羽矢学園の中等部二年って言ってたから、同い年のハズだし……エスカレーター式の学校だから、絶対いるよね。うん」
 そう自分に言い聞かせて、入学式の最中も視線だけ動かして探してみるが、見つからなかった。
 同じクラスにはいなくて。だから、別のクラスなんだと思う。
 その日から桃花は、さり気なく他のクラスを覗いたりして、凍護を探し続けた。

「……いた……」
 数日探して、ようやく凍護を見つけて。
 でも、今話しかけても、自分の事は憶えていないんだろうな、と思う。
 だから今は、同じ学校にちゃんと彼がいた、という事だけでよかった。


 それなのに。
 桃花は部活中に、信じられない話を聞いた。

 桃花が所属しているのは吹奏楽部だ。
 だから練習の大半は、各楽器ごとに別れてのパート練習になる。
 練習の合間にはおしゃべりをするのだが、その話の中で、好きな人についての話題が出た。
「――でもさ、バスケ部のキャプテンとか、実際、物凄い人気らしいよ?カッコイイし」
「えー、でも二年の久我君の方が断然、って感じ」
「あ!私、月羽矢先輩が好きです!」
「女の人じゃない……まぁ、頷けるけど」
「月羽矢先輩はねぇ……あの人はトクベツでしょ」
「桃花は?誰かいいなって人はできた?って、入学したばっかだし早いか」
「私ですか?私、実は好きな人がいるんですよー」
「えぇ!?誰、誰?」
「同じ一年生だし、先輩達は知らないと思いますけど。木暮凍護っていう人です」
 頬を少し赤らめて、ニコニコしながら言うと、それを聞いていた全員が固まったように、場の空気がシーンと凍りついた。
「あの……?」
 その事に不思議に思って桃花が声を掛けると、それまで固まっていた全員が一斉に言った。

「「「あの男はやめときなさい!」」」

「……え?」
「知らないの?木暮凍護っていったら、二年の宗方緋久と並んで有名な不良じゃない!」
「そっか、桃花は外部からの受験組だったから知らないんだ」
「内部生の間じゃ有名よ?『二人で十人以上の他校の不良相手に喧嘩して、相手を全員病院送り』っていう噂」
「本当、ですか?それって、いつの話ですか?」
 信じられなくて、桃花はそう聞く。
「いつだっけ?」
「うーんと……確か二年位前よねぇ?」
「そうそう。何か警察に補導されたって聞いた。先生にも呼び出されてたし」
「でもさ、あの二人って退学はおろか、停学もナシじゃなかった?部活だって、バスケ部退部になってないでしょ?」
「本当に〜?それっておかしくない?」
「あ、でもあの二人成績優秀じゃない?バスケ部でも名コンビで通ってるし。だからじゃない?」
「えー?それって何か、ズルくないですかー?」
 そう話が盛り上がっている横で、桃花は確信する。

 彼は、皆が思っているような不良じゃない。
 警察に補導されたというのも誤解だ。
 自分が助けられたあの日こそが、噂の根底にある真実だ。

「とにかく、やめといた方がいいわよ?」
「うんうん。ていうか、そもそもどこが好きになったの?目つき悪いし、近寄り難いし」
「どこって……」

 きっと“あの日”の事を話しても、信じてはもらえないだろう。
 ここまで噂が浸透しているのなら、尚更。

「えと……皆が言う程、そんな悪い人でも怖い人でもないと思うんですけど……」
「いやいやいや!何でそうなるのよ!」
 さり気なく凍護をフォローするがあっけなく否定され、桃花はもう苦笑するしかなかった。


 皆から噂を聞かされた後で、桃花は気付いた事があった。
 凍護は大抵一人でいる。
 特定の人物としか話をしていない。
 周りにいるクラスメートとかは、まるで凍護を避けているかのような態度で。
「凍護、君……」

 辛くないのかな。
 苦しくないのかな。
 寂しくないのかな。

 見ているだけの自分が、悔しくなった。


 そうして迎えた初の課外授業である野外生活。
 夜、偶然にも凍護が一人で、桃花のいたロビー傍の自販機の横に来た。
 先程までいた人影はもうどこにもなくて。
 丁度二人きり。
 そう思ったら、咄嗟に口から言葉が出ていた。

「あの、私、花咲桃花といいます!ずっと好きでした。付き合って下さい!」

 言ってから、桃花は自分の口から出た言葉が信じられなかった。

 何で言っちゃったんだろう。
 突然告白されても、凍護君は困るだけなのに。

 だが。
「……いいよ」
 返事はOKで。
「……っ!」

 嬉しかった。
 まさか、すんなりOKされるとは思ってなかったから。

「でも……俺なんかで、いいの?」
 申し訳なさそうにそう言う凍護に、桃花は満面の笑顔で答える。
「はい……っ!」
「じゃあ、よろしく。ええと……花咲」
「……よろしくね、木暮君」

 やっぱり憶えてなかった、か。

 内心、そう残念に思いながらも、桃花は幸せだった。
 もう見てるだけ、なんて悔しい思いはしなくて済むから。


 ねぇ、凍護君。
 ずっと傍にいてもいい?


=Fin=