≪ケンカ≫
それを桃花が見かけたのは偶然だった。
次の時間が移動教室で、廊下を咲や幸花と話しながら歩いていたのだが。
「あ、凍護君だ」
渡り廊下の向こうに凍護の姿を見つけた桃花は、嬉しそうに彼に呼びかけようとする。
だけど。
声を掛ける直前、凍護の傍に人がいるのに気付いて、桃花は息を呑んだ。
それは紛れもない、女の子だったから。
スラっとした体型の、背の高い女の子。
背の低い自分とは違って、横に並ぶと丁度、凍護と釣り合った身長。
傍から見れば、その二人の方が余程お似合いに見えた。
しかも凍護は、楽しそうに笑顔を向けて話をしている。
呆然と見ている内に、その二人の姿は見えなくなって。
「その人、誰……?」
桃花の呟きは、人知れず空に消えた。
部活が終わって一緒に帰る時、凍護の態度には何も変化がなかった。
でも、桃花はずっと凍護が笑顔を向けていた相手の事が気になっていた。
あの人、誰?
どういう関係?
何で、何も言ってくれないの……?
凍護は人付き合いのある方ではない。
どちらかというと、限られた人間としか話をしない。
それは学園内に流れている噂が関係しているのだが……。
とにかく、桃花はあの女の子の存在は全く知らない。
だからこそ余計に、気になるのだ。
そんな事を数日、桃花は頭の中でぐるぐると考えていた。
すると、流石に桃花の様子が変だと気付いた凍護が声を掛ける。
「桃花、何か考え事?」
「凍護君……」
心配する凍護を見て、だが桃花は直接聞く事が躊躇われた。
「あの、あのね?……何か、私に言う事って、ある?」
「言う事?」
「例えば……告白された、とか」
桃花のその問いに、凍護は首を傾げる。
「桃花じゃなくて、俺が?別にないけど……」
「じゃ、じゃあ仲のいい女の子って、誰かいる?」
「女の子なんて、桃花以外は誰も俺に近付こうとしないよ」
何も心当たりがない、というその表情に、桃花は酷く混乱する。
じゃあ彼女は?
凍護君の、何……?
凍護君に兄弟はいない。兄弟のように仲のいい男の先輩はいるけれど。
交友関係だって、同じ部活の人が殆どで……。
つまり。
嘘を吐いている……?
わざわざ嘘を吐く理由。
そんなの、一つしか思い浮かばない。
「桃花?」
黙ってしまった桃花に、凍護は心配して顔を覗き込む。
だが。
「凍護君のバカッ!!!」
桃花はそう言うと勢いよくその場から走り去った。
「桃、花……?」
当然、後に残された凍護は突然の事に意味が分からず、ただただ呆然としていた。
次の日。
校内には瞬く間に桃花と凍護が別れたという噂が広まった。
「桃花っ!どうしたの?何だか変な噂が流れてるみたいだけど……」
「……別れてないもん」
「でも、今日は一緒に登校して来てないんだよね?」
「……だって、凍護君が悪いんだもん」
実は桃花はずっと凍護からの電話やメールを無視し続けているのだ。
だけど。
大好きだから、本当はこんなことしてても苦しいだけで。
「も……どうしたらいいか分かんない……」
そうして机に突っ伏した桃花に、声を掛けてくる人物がいた。
「ねぇねぇ、花咲さん。木暮の奴と別れたって本当?なんならさ、俺と付き合わない?」
噂を聞いてそう言ってくる男子生徒は、この人物が初めてではなくて。
ただでさえ気分が落ち込んでいるのに、軽々しくそう声を掛けてくる人達に対して、桃花は不機嫌になる。
「別れてないから」
「ええー?でも今日は全然一緒にいないじゃんかー」
「……しつこい人嫌い」
「俺くらいしつこくないと、付き合ってからラブラブっぷりを発揮できないと思うけど〜?」
「凍護君以外の人は嫌なの!」
いい加減イライラして桃花がそう言った時、教室のドアの所に凍護がいるのを見つけた。
「凍護君……」
「話があるから来て」
凍護はそう言って桃花の腕を掴むと、今まで桃花にモーションをかけていた男を鋭く睨み付けてから教室を出た。
凍護は人気の無い所まできてから桃花に向き直る。
「桃花。昨日から何?俺、何かした?」
流石の凍護も、桃花の無視攻撃に機嫌が悪いようだった。
「……した」
「だから何を?まさか、昨日桃花がしてきた質問に関係あるの?」
そう聞かれて桃花は頷く。
「それだったら、告白もされてないし、仲のいい女の子もいない。この答えの何が不満?」
呆れたようなその言葉に、桃花はムッとする。
「凍護君の嘘吐きっ!」
「……俺は嘘は言ってないよ?」
「だって私見たんだもん!何日か前に凍護君が背の高い女の子と楽しそうに話してる所!」
「……背の高い、女の子?」
と、そこで凍護が眉を寄せた。だがお構いなしに桃花は続ける。
「私には言えないような相手なんでしょ?嘘吐く理由なんて……」
「ちょっと待って、桃花」
凍護はそう言って桃花の肩に手を置く。
だが桃花はその手を振り払った。
「もうヤダ……嘘吐く凍護君なんか嫌いっ」
「桃花っ!!」
瞬間、思い切り怒鳴られて桃花は身を竦める。
凍護の表情は今まで見た事がない位、険しいもので。
怖かった。
「桃花……怒鳴ってごめん。でも……頼むから嫌いなんて言わないで欲しい……」
だが凍護はすぐに申し訳なさそうな顔でそう言うと、ギュッと桃花を抱き締める。
「凍護君……」
「……桃花が見たのは、多分絹川先輩だ。昔、俺と久兄がよく遊んでもらった人の妹。だから特別親しいって訳でもないけど、全く話さない相手でもなくて……」
「そう、なの?」
「うん。それにあの人は……こう言ったら失礼だけど、“女の子”っていう雰囲気でもなくて……だから思い浮かばなかったんだ」
つまり。
凍護は嘘を吐いていた訳ではなくて。
きちんと全部説明して理由を聞かなかった桃花の早合点だったのだ。
「凍護君、ごめんなさいっ!私、何だか早合点しちゃったみたいで……」
「いいよ。多分俺も、同じような状況になったら冷静ではいられないと思うし」
「本当にごめんね?」
「うん。もういいよ、怒ってないから。それより……寂しかった」
「……私も。凍護君が傍にいなきゃ嫌だよ」
「俺も」
そうしてすぐに仲直りすると、二人はまたいつものラブラブっぷりを発揮して、別れたという噂はすぐに立ち消えになった。
=Fin=