≪始まりの日≫


 それはまだ、満月が月羽矢学園に入学したての頃に遡る。

 春の陽気が眠りを誘う、穏やかな午後の授業。
 その日の授業は古典で、『竹取物語』をやっていた。
「では……出席番号一番。読んで」
「はい。……“今は昔、竹取の翁といふものありけり。”」

 あ……この声。
 凄く耳に心地良い……。
 一体、誰が読んでいるんだろう……?

 抗いがたい睡魔に襲われていた満月は、その声に意識を奪われた。
「“野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。”」
 その声の主は、浅葱星という男子生徒で。

 確か……浅葱君、だっけ。
 そういえば、浅葱君の声、まともに聞いたの初めてかも……。

「“名をば、さかきの造となむいひける。”」
「はい、そこまで。じゃあ続きを――」

 あ……終わっちゃった。もっと聞きたかったな……。

 そう残念に思いながら、満月は教科書に目を落とす。
 いつの間にか、睡魔はどこかに消えていた。


 それから数日。
 満月は授業以外で星が喋っている所を殆ど見た事がない。
 声を発したかと思えば、二言三言の必要事項だけで。

 昼食時に、満月は姫中璃琉羽にその事を話す。
 高校からの外部生の満月にはまだ親しい友達はおらず、生来の引っ込み思案も手伝って、同じ中学だった彼女ぐらいしか話し相手がいないのだ。
「浅葱君の声、ねー……」
「うん。……あの声で名前呼ばれたら、きっと凄く幸せな気持ちになるんだろうなぁ……」
「……ねぇ、満月ちゃんて声フェチ?」
「え?」
 思いもよらない事を言われて、満月は目をぱちくりさせる。
「……そう、なのかな?今まで特に、誰かの声がいい、とか思った事はないんだけど……」
 首を傾げる満月に、璃琉羽は思い付いたように言う。
「分かった!じゃあ満月ちゃんは、浅葱君の事が好きなんだよ」
「え……?」

 私が……好き?
 浅葱君の事を……?

 その事に満月が固まっていると、璃琉羽は首を傾げながら聞く。
「……違うの?」
「よく、分からない……だって私、今まで人を好きになった事って、ないから……」
「じゃあコレが初恋なんだぁ」
 ニコニコとそう言う璃琉羽に、満月は考え込むように少し俯く。

「初、恋……?」

 そう声に出して呟いてみれば、急に何だか顔が熱いと満月は感じた。
 実際、満月の顔は真っ赤で。
 それはつまり、満月が星への恋心を自覚した瞬間だった。

「話し掛けてみたりとか、してみたら?」
 璃琉羽はそう言うが、満月は首を横に振る。
「無理、だよ……浅葱君、モテるし……それに、人に話し掛けられるの、いつも迷惑そうにしてるから……」

 それに、初恋は実らないって言うし……。

 そんな消極的な思いから、満月は結局一年次は何もできなかった。
 ただ、姿を見れて、時々授業中に声が聞けるだけでよくて。

 だが、二年次のクラス替えで、満月は星と別のクラスになってしまった。
「もう、あの声は聞けないのかぁ……」

 月羽矢学園では三年次はクラス替えが無い。
 だから、二年次でクラスが離れてしまえばそれまでだ。

「一緒のクラスになりたかったな……」
 そう呟いて、満月は泣き出したいのを堪えた。


 それから一ヶ月半後の五月の半ば。
 満月は生徒会長の月羽矢琴音に呼び出された。
「生徒会メンバーになって欲しい。役職は書記になるのだが……」
「あの、私……生徒会とかそういうのはちょっと……」
 最初は断わった満月だが、メンバーを聞いて気が変わった。

 生徒会に入れば、また浅葱君に逢える……っ!

 そう思って二つ返事でOKして。
 晴れて満月は生徒会書記となったのだ。

 ――それは、始まりの日。


=Fin=


※作中出典『竹取物語』冒頭より