≪傍にいる幸せ≫
その情報は、家に帰った水希に突然もたらされた。
「水希、大変!工君が怪我したって!」
「え……?」
「何でも、崩れた木材の下敷きになったとかで……」
母親のその言葉に、水希の顔はサーッと青ざめる。
工さんが……怪我……?
木材の、下敷き……。
水希はショックの余り、その場に倒れて気を失った。
水希が目を覚ますと、そこには白い天井と消毒液独特の匂いがした。
「ここは……」
「気が付かれましたか?」
聞き慣れた声に顔を向けると、そこには心配そうな表情の工がいた。
「工さん……?っ工さん、怪我はっ!?」
工の姿を認めて、水希は慌てて自分の体を起こす。
「平気ですよ。腕にヒビが入った程度で済みましたから」
そう言った工の右手首の辺りから腕の中程まではギプスで固定されていて、吊り包帯で吊るされていた。
「それより、水希さんこそ大丈夫ですか?突然倒れたって」
「あ……すみません。工さんが木材の下敷きになったと聞いたら、突然目の前が暗くなってしまって……」
そう言う水希の体は震えていた。
そんな水希を、工は左腕だけで抱き締める。
「水希さん。俺は大丈夫ですから、安心して下さい」
そう言ってあやすように背中を撫でてやると、水希は泣き出してしまった。
「よかった……工さんが無事で、本当によかった……」
工は水希が落ち着くまで、暫くそのまま黙って背中を撫でていた。
水希はひとしきり泣いて落ち着くと、改めて今自分がいる部屋の中を見回す。
どうやらここは病院の一室のようだ。
「それにしても、ビックリしましたよ。処置を終えた所に丁度、水希さんが倒れたって聞かされて……」
「工さん、それはもう言わないで下さい……」
水希は恥ずかしそうに俯く。
「すみません。でも頭を打った様子もないですし、多分すぐに帰れますよ」
「そうですか……えっと、ここには母が?」
あの時家にいたのは母親だけだったし、そう思って聞いてみる。
「はい。今、俺の怪我と水希さんの事で医者と話してるので、もうすぐ来られると思いますよ」
それを聞いて、水希は驚いた。
怪我は自分の事なのに、聞いてなくていいんだろうか?
「工さんは怪我についてお聞きにならなくてよかったんですか?」
心配そうにそう聞く水希に、工は苦笑しながら答える。
「“怪我の具合は私が聞いておくから、そんな事より水希の傍に付いててあげて頂戴”と言われてしまいました」
「もう、お母さんたら……」
「でも、そのお蔭で水希さんが目覚めた時に傍にいれました」
ニッコリと微笑んでそう言われ、水希は嬉しそうに頬を染める。
「私も、目を開けて一番に工さんの無事が確認できて、よかったです」
お互いに微笑み合っていると、そこに水希の母親が現れた。
「ああ、水希。よかった、目が覚めたのね。もう、急に目の前で倒れちゃうからビックリしたのよ?」
「ごめんなさい」
「まぁ、それだけ工君の事が心配だったって事よね。でも、いちいち倒れてたら工君のいい奥さんにはなれないわよ?」
母親のその言葉には、水希も工も真っ赤になった。
工の腕のギプスは、2〜3週間程で取れるそうだ。
夕食の席では、その事に話題が集中する。
「木材が倒れてきた時に、頭を庇って思い切り腕で受けましたからね。それでヒビだけで済んだんだからよかったですよ」
「ま、木材の下敷きっていっても、倒れた木材は一本だけだったしな」
「工。職人の技ってのは見てるだけでも結構盗めるモンなんだ。昔は技は教わるもんじゃなく、全部見て盗め、だったからな。これを機にしっかり職人技を見ておけ」
「はいっ」
利き腕にギプスをしたままでは仕事にならないだろう。
だがそれでも学べる事はある、という事だ。
「でも、日常生活の方が不便よねぇ。手首まで固定されてるんだから、片手は使えないも同然でしょ?」
その言葉通り、工は食事一つにもかなり苦戦していた。
なんせ、普段使い慣れない左手で箸を使わなければいけない上に、皿や茶碗をもう片方の手で固定できないから、上手く口に運ぶまでいかないのだ。
その様子を見ていた水希は、何か自分に出来る事はないかと思い、自分の箸で摘んでいるおかずに目を落とした。
そうしている内に、工の箸からはまたおかずが皿の上に落ちた。
それを見て水希は、無意識の内におかずを摘んだままの自分の箸を、工の方に向けていた。
「工さん、どうぞ」
「え……水希さん……?」
工の驚いたような声に水希がハッと我に返ると、家族全員の視線が自分に向けられていて。
水希はようやく自分がとても大胆な事をしていた事に気付いた。
「あ、いえ、これは……」
慌てて箸を引っ込めようとする水希だったが、それよりも一瞬早く、工が差し出されたおかずを食べた。
「美味しいです、水希さん。ありがとうございます」
そう言う工は笑顔だったがかなり恥ずかしいのか真っ赤になっていて。
つられたように水希も真っ赤になると、周りからは野次が飛んだ。
結局、周りに流されるまま水希は工に食事を食べさせる羽目になってしまい、二人はとても恥ずかしい思いをした。
唯一の救いとしては、二人の仲を水希の家族に祝福されている事だろう。
「恥ずかしかったです……」
「俺もです……」
食事の後、逃げるように二人で離れにある工の部屋に行き、息を吐く。
「でも、俺はちょっと嬉しかったですよ。水希さんが俺の為に食事を食べさせてくれるんですから」
そう言う工に、水希は真っ赤な顔で抗議する。
「もう言わないで下さいっ……どうかしてたんです」
シュンとする水希を片腕だけで抱き寄せ、その手で優しく髪を撫でる。
「水希さんは優しい方ですから。俺が利き手が使えないのを見て、どうにかしたかったんでしょう?」
「はい……」
「俺はそれが嬉しかったんです。水希さんの優しさが。ですから……」
笑顔を見せて下さい。
そうして工は水希のこめかみにそっと口付ける。
「……怪我の間中、水希さんをきちんと抱き締められないのはもどかしいですね」
苦笑しながらそう言う工の背に、水希はそっと腕を回す。
「では、怪我の間中、私が工さんを抱き締めます……」
二人は暫く、そのまま静かに寄り添っていた。
大切な人が傍にいる。
それはとても、幸せな事。
=Fin=