≪バイトの時間≫
この日、芹の家族は初めて来るお店に外食にきていた。
なかなか雰囲気のいい店で、メニューを選ぶと店員の呼び出しボタンを押す。
だが。
「いらっしゃいませー。ご注文はお決まりでしたかー?」
そう言って注文を取りにきた人物に、芹達は心底驚いた。
「杏香!?」
「え?あ、芹君じゃないですかー。それに芹君のお父さんとお母さんも。お久し振りですー」
「あらあら。杏香ちゃん、久し振りねー。元気?」
「元気ですよー。今日はウチのお店でお食事なんですねー」
ニコニコとそう言う杏香に、芹は事態を飲み込む。
「そっか……杏香のバイト先なんだ、ここ」
「はいー。あ、お仕事しなきゃですね。ご注文はお決まりでしたかー?」
仕事に戻ってそう聞く杏香に注文の内容を告げると、彼女は裏へと引っ込んでしまった。
「偉いわねー。こんな時間までバイトしてるなんて」
「確か、夕方から十時近くまでバイトって聞いた事あるけど……」
「そうなのか?偉いなぁ」
「でも、そんなに遅くまで働いて御飯はどうするのかしら?それに帰り道とか、女の子一人じゃ危ないでしょう」
「御飯はまかないが出るんだって。それにこの辺りは人通りも多いから大丈夫だって。家も近くだし……まぁ、それで安心はできないんだけど」
心配そうに芹が言った所で、注文した料理が運ばれてきた。
勿論、運んできたのは杏香だ。
「お待たせ致しましたー」
芹達は、杏香の仕事の邪魔をしてはいけないとばかりに、その動作を見守る。
「ご注文の品はお揃いでしたかー?ではごゆっくりお召し上がり下さいませー」
そう言って、杏香は最後に芹に笑いかけると、忙しそうに裏に戻っていった。
その杏香の後姿を見送って、暫く他愛もない話をしながら芹達は食事を進める。
芹達が訪れたこの時間帯は忙しいらしく、杏香はフロア中を行ったり来たりしている。
その姿を視界の端に留めながら食事をしていた芹だったが、段々とモヤモヤした感情が湧き上がってきた。
客の中には常連もいるらしく、そういう人達と杏香は話をしたりしていて。
他にもバイト仲間であろう男と親しげに、楽しげに話したりしている姿もちらほらとあって。
そういうのを見る度に、何だか分からないモヤモヤしたものが胸の中いっぱいに広がるのを、芹は感じていた。
確かに杏香は可愛いけど。
話をしてると、そのほわっとした雰囲気に癒されるけど。
それで人気が出てもおかしくないとは思うけど!
……何か嫌だ。
そんな風に思っている芹に、母親が呆れたように言った。
「なぁに、芹。ヤキモチ?」
「……え?」
「さっきからアンタ、ずっとムスッとした顔してるわよ?」
母親のその指摘に、芹は眉間に皺が寄っていた事にようやく気付いた。
「全く……心の狭い男は嫌われるわよ」
冷たく言い放たれた母親のその一言は、芹の胸にグサッと突き刺さった。
え、僕って心狭い!?
そんな事で杏香に嫌われたくない。
でも。
だって。
気になるものは仕方ないじゃないかっ!
そんな事を真剣に考えて芹が悩んでいると、母親が笑いながら言った。
「そんなに悩むんなら、ここでバイトしちゃえば?」
「え?」
そうして芹が返事をする間もなく、杏香を席に呼んだ。
「どうかしましたかー?」
「ねぇねぇ、杏香ちゃん。ここって、バイトの募集してるの?」
「バイトですかー?うーん……夜遅くなら募集してますよー?」
「あら、じゃあ杏香ちゃんと同じ時間帯はダメ?」
「そうですねぇ……今は募集してるのは閉店後まで残れる人じゃないと……」
そう言ってシュンとする杏香に、芹は慌てて言う。
「杏香の気にする事じゃないから、そんなに落ち込まないで?」
杏香にそういった後で、芹は母親をキッと睨み付ける。
「バイトの邪魔してゴメンね?」
芹がそう言うと、杏香ははにかんだ笑みを浮べた。
「いいえー?バイト中なのに芹君とお話できて、ちょっと嬉しかったですー」
そう言って杏香はまた仕事に戻った。
食事を終えて、会計を済ませて店を出た所で、母親が残念そうに言う。
「いい案だと思ったんだけどねー、芹のバイト。同じ時間でバイトできれば、帰りも芹が家まで送ればいいんだし」
「しょうがないだろ?バイトの募集してないっていうんだから」
そう言いながら、芹自身も残念に思っていた。
一緒にバイト、してみたかったな、と。
一緒に働けば、それだけ一緒にいられるという事だから。
また今度、機会ができたら。
=Fin=