≪遠い日の約束≫
『一つだけ、約束してもらえませんか?』
少しだけ、雨で濡れた地面。
天へと昇る白煙。
遠くで聞こえる、子供の楽しそうな声。
あれは、遠い日の出来事――。
「……夢、か……」
目が覚めて龍矢は今まで見ていた夢を思い返す。
いや、あれは夢じゃない。
実際にあった出来事。
八年前の、あの日――。
それは、龍矢の両親の葬式の日だった。
両親はどちらも実家から縁を切られている為、墓に入れてやる事が出来ないので、火葬場での事が一応区切りとなる。
遺骨を持って火葬場を後にしようとした時、龍矢は呼び止められた。
「龍矢君。……ちょっと、話があるんだ」
それは、龍矢の叔父に当たる人物・向日和幸だった。
「……話とは何でしょうか?」
龍矢は僅かに視線を巡らして、幸花が少し離れた場所で母親と遊んでいるのを見つけた。
「……君の手助けがしたいと思って。ウチに来ないか?」
「……!」
「確かに君のご両親は実家から縁を切られている。だけど私達は、彼等への恩返しの意味も込めて、君を引き取ろうと思っている」
「……恩返し?」
その言葉に龍矢は訝しげな顔をする。
縁を切った相手に、恩?
「……君のご両親、虎太郎さんと初音さんには、どれだけ尽くしても返しきれない恩があるんだ」
「それは……貴方が現在、向日コーポレーションの社長だという事に関係のある事ですか?」
もしそうなら、それは恩でも何でもない。
龍矢はそう思ったが、和幸は首を横に振った。
「違うよ。私と妻と幸花が三人でいられるのは、彼等のお蔭なんだ」
そう言った和幸の表情は、どこか切なげに歪んでいて。
龍矢は追求すべきではないと思った。
「……でも俺は、お断りします」
キッパリとそう言い、目の前にいる人物を見据える。
「理由を聞いてもいいかな」
「俺は大学進学を機に一人暮らしをするんです。もう下宿先も決まっていて……今回の火事で俺だけが無事だったのは、荷解きの為に下宿先にいたからなんです」
「そうか……」
残念そうにそう呟くと、和幸は離れた場所で遊んでいる妻と子供に目を向ける。
「幸花も君に懐いたようだったから、来てくれると幸花も喜んだと思うんだが……無理強いする事ではないしね」
そうして龍矢に向き直ると、真剣な眼差しを向ける。
「けれど、これだけは言っておく。私達はいつでも君の味方だ。困った事があったら、遠慮なく頼ってきて欲しい」
「……わかりました」
龍矢は、不思議と彼なら信じてもいいと思った。
母親の妹の夫だから、直接的な血の繋がりはない。
けれど、それでも自分の叔父に当たる彼は、信じられる気がする。
そうして、一つだけ思いついた事があった。
「一つだけ、約束してもらえませんか?」
「何だい?」
「社長業というものが、どれだけ忙しいのか俺には分かりません。ですが、仕事にかまけて、幸花ちゃんに寂しい思いをさせる事だけは、しないでもらいたいんです」
「……どうしてそんな事を?」
「……俺は、彼女のあの笑顔に救われたんです。だから、いつも笑っていて欲しいと思うんです」
あの笑顔が失われる事のないように。
「分かったよ。私だってあの子の父親だ。幸花にはいつも笑顔でいて欲しいと思うからね。約束する」
「ありがとうございます」
龍矢が頭を下げた所で、それまで離れた場所で遊んでいた幸花が、母親と一緒に傍に来た。
「りゅーやおにいちゃん!おにいちゃんも、あそぼ?」
「こら、幸花。お父さんとお兄ちゃんは大事なお話してるんだから、邪魔しちゃ、メ、だからね?」
まだ小さい幸花に言い聞かせるようにする母親に、和幸は優しく言う。
「いや、もう終わったよ」
「そう……それで……」
「残念ながら、いい返事はもらえなかったよ」
「……龍矢君。いつでも頼ってきて頂戴ね?約束よ?」
「はい」
自分の母親によく似た顔でそう言われ、龍矢はしっかりと返事をした。
すると幸花が龍矢の足元に抱き付いてきた。
「りゅーやおにいちゃん、もうあそんでもいい?」
「いいよ、幸花ちゃん。何して遊ぶ?」
そうして幸花が疲れて眠ってしまうまで、龍矢は相手をしてあげた。
「今日は、君と話が出来てよかった。しかし、本当に虎太郎さんによく似ている……」
「ええ。何というか、雰囲気がそっくり。顔立ちは、どちらかというと姉様に似ているかしらね」
両親に似ていると言われ、龍矢は何だか誇らしい気持ちになった。
駆け落ち同然で家を飛び出して実家から縁を切られ、さぞかし辛かっただろうに、笑顔を絶やさなかった両親。
その姿に憧れ、ずっと尊敬してきたのだから。
そうして別れを告げて。
それからは結局、二人とは一度も会う事はなかった。
「約束、か……」
遠い昔に交わした約束。
それはきっと、ちゃんと果たされ続けてきたのだろう。
あの頃と変わらぬ笑顔の幸花が、今、自分の傍にいるのだから。
「今度は、俺が貴方達に約束します。これから先ずっと、幸花の笑顔は、俺が守っていくと」
龍矢は窓の外に見える青空に向かって、そう誓った。
=Fin=