その日、朝の職員会議を終えた直樹の元に、生徒からの欠席連絡があったと伝えられた。
「早坂先生。先程、先生のクラスの生徒が熱で休むと連絡がありました」
「誰です?」
「えっと……生田咲という生徒です」
「え……?」


≪熱≫


 欠席連絡を聞いてから、直樹は気が気じゃなかった。

 昔からお袋はどこか楽天的な方だからな……。
 病気になったからって、付きっ切りで看病されてた記憶もないし。
 どっちかというと、放っておかれた記憶の方が多い。

「オイオイ、お袋の奴、ちゃんと看病してるんだろうな……?」
 そう思うと益々心配になってきて。
 授業中も何だか上の空だった。
「せんせー。その数式、数字間違ってまーす」
「あ?あぁ、悪ぃ」

 ……大丈夫か、俺。


 それは勿論部活中でも同じ事で。
「……先生。そろそろ試合形式でチームでやろうと思うんですけど」
「ん……」
「先生?」
「あ……何だ?」
「ちゃんと聞いてて下さいよー。今日の先生、何だか変ですよ?」
「……悪い」
 生徒にそれを指摘され、直樹は自分を叱責する。

 何やってんだ、俺。こんなんじゃ教師失格だろ。

「……先生がそんなんじゃ、皆の士気に関わります。今日はもうこれで切り上げますか?」
 部長のその言葉に道場内を見渡すと、部員達はちらちらと直樹の様子を気にしていて。
「……悪い。今日はちょっと早いけど、切り上げるか」
 かなり気を使わせていたのだと改めて思い、苦笑しながらそう告げる。
「はい」


 そうして部活を終えると、直樹は帰り支度を整え実家へと急ぐ。
「お袋ー?……いないのか」
 玄関に靴がないので奥へと声を掛けてみるが、案の定返事はなくて。
「やっぱり……全く、何考えてんだ。病気の咲を一人にするなんて……」
 直樹はぶつくさとそう呟きながら、真っ直ぐに咲の部屋へと急ぐ。
「咲?……入るぞ」
 一応ノックをしてから、部屋のドアをそっと開ける。
 するとそこには、ベッドの上で寝ている咲がいて。
 近くで見ると何となく顔が赤いように見えた。
 頬にそっと触れると、やはりまだ熱があるようで。
「咲……」
 今のこの状況を代わってやりたいと思った。
「ん……な、おき、さん……?」
「ごめん、起こしたか?」
 ほんの僅か身動ぎして、咲が目を覚ました。
「がっこうは……?」
「もう終わったよ。それより咲、大丈夫か……?」
「へーき、です。あさよりだいぶ、らくになったし」
 それにしてはまだ少し苦しそうで。
 喋り方も、子供みたいな口調になっていて。
 直樹は手を握ってやる。
「何か俺に出来る事、あるか?水とか持ってこようか?」
 すると咲はゆるゆると首を横に振る。

「あの……それなら、このままてを、にぎっててくれますか……?」

 熱で多少潤んだ瞳で可愛らしくそう言われ、直樹はドキッとする。
「咲……そのくらい、いつでもやるよ?」
 優しくそう言いながら、内心では穏やかではなかった。

 病人に対して、今、何考えた、俺!?
 あぁ、でも。
 キスしたらうつるから治るって言うしな。
 キスぐらいなら……。

 そう思って、直樹は咲に言う。
「咲、キスしたら早く治るらしいよ?」
「ほんとに……?」
「試してみる?」
 熱のせいで上手く頭の回らない咲は、コクンと頷く。
 それを確認して、直樹はゆっくりと咲に顔を近づけた。

 ……その時。
「直樹ー?いるのー?」
 能天気な自分の母親の声が聞こえてきて、直樹は慌てて顔を離す。
 その直後、部屋に入ってきた母親に怪訝そうな顔をされ、一瞬、自分のしようとしていた事がバレたのかと思い、内心焦った。
「……何で咲ちゃんの手、握ってるの」
「……頼まれたから。そっちこそ、病人の咲を放って、どこ行ってたんだよ」
「私はほら、熱があるから、おでこに貼るシートとか買ってきてたのよ。他にも病人でも食べれそうな果物の缶詰とか色々。それにしても……本当にぃ〜?咲ちゃんが頼んだの?」
 疑わしそうにそう言われ、直樹はムッとする。

 確かに自分から握ったけど。
 ちゃんとその後で本人が頼んできたし。

「……ま、いいわ。看病はアンタに任せるわ。だけど」
 そこで一旦言葉を切って、目を細めて言われた言葉に、直樹は目を逸らした。

「病人なんだから、咲ちゃんに何かしようとか思ったらダメよ?」

 そうして出て行った母親に、直樹は溜息を吐いた。
「……キスは、できそうにないな……」
 そうしてチラッと咲を見ると。
 彼女は直樹の手をギュッと握ったまま、いつの間にか眠りについていた。


=Fin=


直樹の忍耐が試される瞬間(笑)