≪おつかい≫


 それは、もう昼に近い時間帯だった。
 家事をこなしていた音々子は、普段滅多に鳴らない携帯が鳴って、多少ビクつく。
「こ、こんな時間に誰から……?」
 この携帯の番号を知っているのは怜人か、一時期施設で一緒にいた幸花ちゃんという怜人の従妹だけだ。
 けれど怜人は仕事中だろうし、幸花ちゃんも今の時間は学校のハズだ。
 そう考えて、身構えながら携帯の画面を確認すると。
「あれ?怜人からだ……」
 数時間前に家を出た怜人からだった。

「もしもし?どうしたの、怜人」
 一体何だろうと思いながら電話に出ると、怜人は少なからず焦ったように言う。
『音々子、悪いんだが書斎の机の上に、茶色い封筒がないか見てくれるか?』
「うん。ちょっと待ってて」
 そう言って怜人が書斎として使っている部屋のドアを開けると、正面の机の上にそれらしきものが見えた。
「あったよ」
 音々子がそう言うと、怜人は電話の向こうで幾分安堵したようだった。
『そうか……。それで悪いんだが、それを会社まで届けてくれないか?午後一の会議で必要なんだ』
「いいけど、私会社の場所知らないよ?」
 音々子がそう言うと、怜人は場所を説明し始める。
『お前が行き倒れた公園、覚えてるか?あそこの近くの一際でかいビル。その中に俺の会社のオフィスが入ってるから』
「うん、分かった」
 どうやら怜人の会社は、最近よく聞くオフィスタワーに入居しているらしい。
 そんな事を考えながら、音々子は出掛ける仕度をして、家を出た。

 電車に乗って目的の駅に着くまで、音々子は何の気はなしに封筒を眺めてみる。
「『@Home Life』……これが怜人の勤めてる会社名かな。それと『重要書類在中』の判子……って凄く大事なモノじゃん、コレ!」
 他にも怜人の字で何か書いてあるが、これは多分中に入っている書類に関係する内容だろう。
「絶対にちゃんと届けなきゃ……!」
 使命感にも似た思いに、音々子は一人頷いた。


「ふわぁ……おっきい……」
 目的のビルに着いた音々子は、思わずビルを見上げてそんな感想を漏らす。
「このビルのどこかに怜人がいるんだ……」
 そう呟いた音々子は、グッと小さな握り拳を作ると、気合を入れてビルの中へと入っていく。

 ビルの中は、様々な人が行き交っていた。
 その殆どが、スーツを身に纏った人々だ。
 目の前の光景に先程の気合はどこへやら、音々子は自分が酷く場違いな気がして、何となく途方に暮れてしまう。
「……と、取り敢えず、怜人の会社は何階だろう……」
 キョロキョロ周囲を見回し案内板を探すが、何がどこにあるか分からない。
 仕方なしに、音々子は適当に誰かを捕まえて聞く事にした。
「えっと、聞きやすそうな人がいいな……」
 だが、行き交う人は皆忙しそうだ。
 そう思った所で、丁度目の前を、携帯で話しながら歩く人が通り過ぎた。
「あ、そっか、携帯。怜人に電話すればいいんだ」
 そう思って携帯を取り出すが。
「……嘘、何で?」
 充電が切れたのか、携帯の画面は真っ暗で。
 しかし、普段から携帯を全く使わない音々子には、充電が切れたなど思い付かない。
「こ、壊れちゃったの!?どうしよう……」

 折角怜人に貰った物なのに。
 壊したなんて知ったら、怜人はどう思うだろう?
 それに。
 怜人に連絡できなかったら、会社の階数が分からないっ。
 午後一で必要な書類って言ってたから、まだ時間があるけど。
 それでも早く持ってきて欲しいって待ってるハズなのに……。