二人がそうしていると、後ろから咳払いが聞こえてきた。
「……なんだ、満。お前まだいたのか」
 顔だけ後ろを振り返って、怜人は冷たくそう言い放つ。
「まだいたのか、ってお前なぁ……親友に対してその言い方は酷くねえか?音々子ちゃんもそう思うよねぇ?」
 人前だという事に気付いて恥ずかしい思いをしていた音々子は、話を急に振られてしどろもどろになる。
「え、あ、その、えっと……」
「満」
 だが、怜人が少し強めにそう名前を呼ぶと、満は肩を竦めてみせた。
「はいはい。仕事すりゃいいんだろ」
 そう言って、社長室を出て行く直前。
「あ、お楽しみは程々にしておけよ?」
「満!」
「じゃーまた会議の時にな。音々子ちゃんもゆっくりして行ってね」
 そう言ってニッと笑いながら、手を振って出て行った。

 満がいなくなった室内で、怜人はチッと舌打ちして前髪を掻き揚げる。
「ったくあのヤロウ。絶対に面白がってやがる……」
 そうして音々子の頭を撫でながら、室内のソファに促す。
「ま、なんにせよご苦労様、音々子。助かったよ、ありがとな」
 怜人にそう言われ、途端に落ち着きを取り戻した音々子は、満面の笑みを浮かべる。
「うん!あ、それにしても怜人。社長なら社長だって事前に言っておいてよね!?柿崎さんにいきなり社長室に連れてこられて、ビックリしたんだから!」
 噛み付くようにそう言う音々子に、だが怜人は少し考えて首を傾げる。
「……言ってなかったか?」
「聞いてないっ!」
「ははっ。そりゃ悪かったな」
 笑いながらそう言って頭を撫でてくる怜人に、音々子はむぅと唇を突き出す。
「ふんだ。怜人なんてもう知らない」
 不貞腐れてそっぽを向く音々子を、怜人は抱き締める。
「そう言うなって。社長なんて名ばかりなんだからさ」
 その言葉に、音々子は引っ掛かったものを聞いてみる。
「そういえば、会社って社長さんが一番偉いんじゃないの?柿崎さん、代表取締役って呼ばれてたけど……」

 音々子は最初、代表取締役と呼ばれていた満が社長みたいな立場の人だと思っていた。
 けれど、実際には怜人が社長で。

「あぁ、それはだな。ウチの会社の場合、代表取締役は一人じゃねぇんだよ」
「は……?」
「代表取締役っていうのは、その名の通り、株式会社の代表権を持ってる取締役の事なんだ。で、別に何人いてもいいんだよ」
「え!?じゃあ、代表取締役って何人もいるの?」
「ウチの会社はな。……元々俺と満を含めた学生時代の連れ数人で立ち上げた会社なんだよ。だから会社立ち上げに関わった全員が代表権を持ってるんだ」
「そうなんだ……」

 代表っていうくらいだから、一人なのかと思ってた。
 それに。
 ……怜人が友達と会社を立ち上げた、なんて思ってもみなかった。
 最初に会った時は、本当に金持ちのボンボンとしか思ってなかったから。

「怜人って、実は凄かったんだね」
「あ?いきなりどうした」
「だって、会社を立ち上げちゃったんだよ?凄いって!」
 尊敬の眼差しを向ける音々子に、怜人は何だか照れ臭くなってくる。
「……そんなに凄かねぇよ。たまたま、それぞれの得意分野が違ってただけだ」
 呟くようにそう言って、怜人は話を変える。
「そういや、この後なんか予定でもあるか?」
「予定?んー、洗濯物の取り込みと夕飯の買い物ぐらい?」
「昼飯は?」
「ううん、まだ」
「じゃあ俺の弁当、二人で食うか。で、会議が終わったらちゃんと食いに行こう」
 怜人の提案に、音々子は目を瞠る。
「でも、午後からも怜人はお仕事でしょ?それに会議の間中、私どこにいればいいの?」
「ん?この部屋」
「だ、だって、誰か入ってきたら……!」
「社長の留守中に部屋に入るやつなんていねーよ」
「で、でも……」
 なおも渋る音々子に、怜人はフッと笑う。
「基本的に、外部の人間と会ったりするのは他の奴の役目だ。俺は社長だけど、もっぱら企画担当。だからスケジュールはどうとでもなる」
「……社長なのに?」
「俺が社長なのは、俺の実家が有名だったから、手っ取り早く色んな所の信用を勝ち取る為だ。だから役職はあんまり関係ない」
「そっか」
「それに、ちゃんとおつかいできたご褒美もあげないとな」
 そう言って怜人は、ちゃっかり音々子に口付ける。
「あんま構ってやれねぇけど、午後からもずっとここにいていいから。いつも家に一人でいさせてごめんな?」
 怜人のその言葉に、音々子は嬉しそうに笑った。


 普段見る事の無い、怜人の働いている場所・姿。
 それを見られただけでも嬉しいし、新たな発見もあったけど。
 音々子にとって、一番のご褒美は。
 やっぱり、ずっと傍にいられる事。


=Fin=