ある朝。
目覚めた音々子は、いつものように今はまだ目の前で眠りに就いている怜人の寝顔を眺める。
基本的に怜人よりも早く目覚める音々子にとって、これはもう日々の日課になりつつあるものだった。
「ホント、いつ見てもキレーな寝顔だなぁ……」
目が覚めるといつも目の前にある、大好きな人の寝顔。
この時ばかりは音々子も、多少大胆になれる。
といっても、髪や頬に手を触れる、といったくらいだが。
いつものように音々子は、怜人の額に掛かっている前髪を払おうと、手を伸ばしかける。
だが、自分の腕に何かが付けられているのに気付いた。
「……これ」
それは、銀の細長いプレートを、細い鎖で繋いであるだけの、シンプルなブレスレットだった。
プレートには青い宝石が一つ、あしらってある。恐らくサファイアだろう。
そして、何か文字が刻まれているのが目に付いた。
『NENEKO.M』
「私の……名前……?」
「そうだ」
いつの間に起きていたのだろうか、怜人が微笑んでいた。
「本当は昨日、渡そうと思ったんだがな」
怜人の元に入った一本の電話。
それは、このブレスレットの事だった。
前にモールに買い物に行った時、音々子と別行動した時に注文したもの。
本当は、夕食の後にでも膝の上に座らせて、抱き締めて。
真っ赤な顔で文句を言いながら、それでも大人しく自分の腕の中に収まっている音々子に、このブレスレットを嵌めてやって。
どんな顔をするか楽しみだった。
なのに、いざその場面になると緊張して。
それもその筈、怜人は女性に贈り物をした事なんかなくて。
しかも好きな相手だから尚更、喜んで貰えるかも、まして受け取って貰えるかも分からなくて。
そう考えると、どうしてもその場で渡す事ができなくて、結局音々子が寝ている間に、そっと腕に嵌めたのだった。
照れた様子の怜人に、音々子はふと疑問を口にする。
「……これ、Mって何?NENEKO.MのM」
「あぁ、それ?俺の」
「え」
「俺の苗字。真嶋のM。……俺、音々子のフルネーム知らねーし、言わないって事はどうせ施設のやつなんだろ?だから」
そう言って怜人は満足そうに笑う。
確かに、名乗るのも嫌だ。あんな苗字。
そう思って音々子は確認するように聞く。
「……真嶋音々子、って事……?」
「そう」
それを聞いて、音々子は嬉しそうに顔を綻ばせる。
だがそれも一瞬で。
すぐに沈んだ表情になったかと思うと、今度は泣き出してしまった。
「音々子!?どうした?」
突然の事に怜人は慌てる。
何だ。
何がいけなかった?
そう思って慌てるが、原因は全く分からない。
音々子はただ静かに涙を流していた。
声も上げずに。
怜人が惹かれた、あの強さを秘めた瞳から、大粒の涙を流して。
「音々子……?」
怜人は躊躇いがちに声を掛ける。
だが。
「ご…め……っ」
音々子はそう言って静かに泣いた。
音々子が泣いているのを見て、怜人は何だか悲しくなってくる。
他人の感情に左右される、なんて、今までになかった事だ。
だが、相手が音々子ならそれでもいいと思えてしまうから不思議だ。
怜人は音々子の髪を優しく手で梳いてやる。
「……嫌、だったか?」
そう怜人が聞くと、音々子は首を横に振った。
「……ううん、凄く嬉しい……大切にする」
そうして本当に大事そうに、ブレスレットを手で包み込んで、頬を寄せた。
だったら、何故泣く?
とても、嬉しくて泣いているようには見えない。
……泣かせてばかりだ。
俺が気持ちを告げた、あの日から。
まさか、それが原因か?だが泣く理由が思い浮かばない。
気持ちが嬉しいなら笑っているだろうし、迷惑だと思った時の為にフォローもちゃんとした。
それに、少なくともあの時のあの様子は。
……あの時、思わずキスしてしまった時のあの様子は。
嫌っているようには見えなかった。
むしろその逆で。
それがどうしてこんな事に……。
考えても考えても、答えは出ない。
そうこうしている内に、不意に音々子に声を掛けられた。
「怜人、お仕事いいの?」
そう言った音々子は、もう泣き止んでいて。
怜人は拍子抜けした。
何だってんだ、一体……。
だが、そうは思っても結局聞く事は出来なかった。