〜皇子様の苦悩〜


 自らの運命を大きく変えたあの旅からもう五年。マリノス=シラー=ラノスは今年で二十歳だ。
 かつての旅の仲間は散り、神無とラティスは月でどうしているか分からないし、リムとフォリシスは二年前にやっと結ばれ――というのも、約半年半遠距離恋愛を していた為――今は北東の孤島で暮らしている。

 それまで国政を手伝っていたリムがいなくなった事で、マリノスは皇子としての雑務に追われるようになっていた。


「――あーもう嫌だっ!毎日毎日こんな雑務ばっか……気が滅入るっての!」
 そう言ってペンを机の上に放り、椅子の背もたれにもたれ掛かって思い切り伸びをした。

 皇子というのも退屈だ。
 マリノスはもっと華やかなものを想像していた。
 なのに実際は、毎日勉強と雑務に追われる日々。
 それでもまだ勉強はマシだ。何せ、魔法を使えるようになったのだから。
 問題は日々の雑務だ。毎日これでもかというくらい大量の書類がある。
 十五年分溜まっていたのが、現在の分に上乗せされているので仕方ないが。
 事情は分かっているし、責める気はない。それは現在の分に関してもだ。
 両親にしたって、突然“本当の両親です”と言われ、戸惑いはしたものの、すぐに大好きになった。
 ただ、育ての親であるシラー夫妻への愛情も捨て切れなかった為、シラーを名乗る事を許可してもらった。

 そんな感じで日々を送っているマリノスは、時々旅の事を思い出す。
「……神無、元気かなぁ……ってバカラティスと一緒なんだよな……」
 マリノスが唯一認めたくないのがラティスの存在だった。
 大好きだった神無の恋人で、実の兄。
「うっわマジありえねー……」
 神無はラティスの事が好きだったし、だからこそ身を引くと決めたが、やっぱり本当は嫌だった。
 なのに、後になって実の兄だと分かって余計に悔しかった。

 もし神無に先に出会っていたのが自分だったら……。

「……あーっもう!無駄な事考えんのヤメ!虚しいだけじゃんか……」
 そう呟いて少し凹んで、マリノスは項垂れた。


 そうしていると、部屋のドアを控え目にノックする音が聞こえてきた。
「……どうぞ」
「し、失礼致します」
 入ってきたのは、見慣れた若いメイド。名をアーヴィアという。

 アーヴィアは限りなく黒に近い茶髪で、それがどことなく神無を連想させるから、マリノスは正直彼女が少し嫌いだった。
 その理由は、アーヴィアの性格が神無と似ても似つかなかったから。
 神無は物事をハッキリ言うし、明るくて行動力がある。
 逆にアーヴィアはハッキリとせずいつも暗くて、ぐずぐずしていてトロい。
 見た目が似ているだけに、それが気に障って苛々する。

「……で、何の用だい?」
 マリノスは例え嫌いな相手でも、それが女性であればつい丁寧な言葉遣いになる。もう癖のようなものだ。
「あ、あの、その……お、お部屋のお掃除に……」
「そう、じゃあお願いするよ……あぁ、そうだ。そっちの棚はやらなくていいからね」
「は、はい。分かりました」
 アーヴィアの仕事ぶりを、最初は気にしないようにしていたが、いかんせん彼女は要領が悪い。
 花瓶の水は零す、はたいた埃にむせる、壁や棚に体の一部をぶつける、床に落ちていたり置いてあったりする物に足を引っ掛けて転ぶ……などなど、他にも色々と やらかすので、気になって仕方がない。

 ――苛々する。

「……もういいよ、ご苦労様」
「あ、あの、ですが……」
「すまない、勉強の時間なんだ。一人で集中したいから……」
「……はい。失礼、致しました……」
 マリノスはもっともらしい事を言って、アーヴィアを部屋から追い出す。

 あれ以上一緒にいたら、きっと怒鳴りつけていた事だろう。
 マリノスは深く溜息を吐く。
「……何とかならねーのかよ、あの性格というか、ドジっぷりはよ……」
 だからといって、暇を出す、という考えは気が引けた。
「……俺って、つくづく女性には優しくできてんだな……」
 ある意味悩みの種だ。

 そう思ってマリノスはもう一度、深く溜息を吐いた。