取り敢えず琴音の母親の提案で、彼女は先に着替える事になって。
その間俺は、琴音の部屋で待たされる事になった。
「部屋の主がいないのに勝手に入る事になるなんてな……」
何だかんだ言って、実は琴音の部屋に足を踏み入れるのはこれが二度目だったりする。
至ってシンプルだが、落ち着いた色で統一されている室内。
小難しそうな本が並んだ、天井までの高さがある大きな本棚。
けれど所々、小さな観葉植物や、可愛らしい小物が飾ってあって。
「……まぁ、相変わらず琴音らしい部屋、だな」
そうして暫く部屋の中を見回してて、枕元に伏せられた写真立てが置いてある事に気付いた。
「……何だってこんな所に……」
だが、気にはなっても勝手に見る訳にはいかないだろう。
俺が写っていると嬉しいんだが……。
そう思っていると、着替えを終えた琴音が入ってきた。
「近君〜っ」
琴音は真っ直ぐ俺の所に来ると、ギュッと抱き付いてきて。
部屋の入り口に目を向けると、琴音の母親が立っていた。
「じゃあ弓近君。琴音の事、お願いね」
「あ、はい」
そう言って部屋のドアを閉めようとした琴音の母親は、何かを思い出したように留まった。
「……そうそう、それと」
「はい?」
「琴音は今酔っているって事……忘れちゃダメよ?」
「……勿論です」
あからさまな釘を刺され、俺が返事をすると、ようやくドアを閉めて。
「……俺、信用ない?」
そうは思ったが、今現在の俺自身、何とか理性と長年培ってきた自制心を総動員している状態だという事も確かで。
「近君、どうしたの?」
……そもそも、琴音がいつもと違って妙に男心をそそるような言動をするから……っ。
今だって上目遣いで可愛らしく首なんか傾げちゃって……っ!
あぁ、もう、どうしてくれようか。
いや、どうもしちゃダメなんだが。
俺は取り敢えず溜息を吐くと、琴音の頭を撫でてやる。
「ほら、琴音。ベッドに入って」
そう言うと、琴音は大人しくベッドに入って。
俺はというと、ベッドの端に腰掛ける。
それを見て、琴音は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「どうかしたか?」
「近君がそばにいるなぁっておもって」
「そっか」
「いつもは、しゃしんでがまんしてるから、うれしい」
「写真……って、それの事か?」
「うんっ」
枕元に置いてあった写真立てに入っていたのは、卒業式の時に生徒会室で撮った内の一枚で。
俺と琴音の2ショットの写真だった。
自分が写っているといいな、とは思ったが、本当にそうだと何故だか妙に気恥ずかしくて。
俺は話題を変える為、疑問に思っていた事を聞く。
「……そういえば、何で急に近君って呼ぼうと思ったんだ?」
「あのね?みんなが“近”ってよんでるの、いいなぁっておもったの」
琴音の答えに、だが俺は一瞬首を傾げる。
皆って誰だ。
俺の事を“近”って呼ぶ奴なんて……。
「あ。もしかして、俺の親戚?」
滅多に会わない親戚連中に思い至って、成程と思う。
そういえば去年の夏に琴音も一緒に田舎の爺ちゃん家に行ったっけ。
「え?って事は、その頃からずっと……?」
……もう本当。
お前、何をどれだけ我慢してるんだ、琴音。
もしかして、普段抑圧してる反動で、タガが外れまくってんのか。
「そういう事かよ……」
何だかもう、呆れてモノも言えない。
「……なぁ、琴音」
「なぁに……?」
「こうやって二人きりになった時だけでも、もっと俺に甘えろよ」
そうすれば多少酔っても、もう少しまともな言動になる気がする。
「うん……近君、だいすきぃ……」
そう言う琴音は、ベッドに横になったからか段々と目がトロンとしてきて。
暫く頭を撫でてやっていると、その内小さな寝息を立て始めた。
「……酔いが醒めた時に記憶が飛んでればいいけど」
残ってたら、絶対に琴音は自分の言動を後悔する羽目になるだろう。
唯一、安心できる点は。
「酔ってても真っ直ぐ俺のトコに来た事ぐらい、か」
これで他の男と何かあった日には、琴音はとんでもなく傷付いてしまうだろうから。
琴音はどうやら。
俺が思うよりもずっと、俺の事が大好きらしい。
「まぁ、俺さえ傍にいれば大丈夫か」
俺以外はアウトオブ眼中みたいだし。
「おやすみ、琴音」
俺は琴音の耳元でそっと囁くと、少し迷ってから額に一つキスを落として、物音を立てないように彼女の部屋を後にした。
次の日。
少し早めに琴音の元を訪れると、彼女は気難しい表情をしていた。
「……弓近。一つお前に聞きたい事がある」
「何だ?」
呼び方がいつも通りに戻っていた事を残念に思いながら首を傾げる。
「私は昨日、色々とおかしな言動をしてお前を困らせたか」
疑問系ではなく、断定的なその物言いに、どうやら酔っていた間の記憶はきちんと残っているのだと推察する。
その事に俺は、正直に答える。
「……ま、普段とはまるきり違う言動だったしな。困ったと言えば困ったが……」
「そうか……」
俺の答えを受けて、複雑な表情のになってしまった琴音の中に、後悔の色を見つけて俺は付け足す。
「ま、普段じゃ絶対に見られない可愛らしい琴音が見れたから、俺としては迷惑じゃなかったな」
そう言うと、琴音にしては珍しく、瞬間的に顔を真っ赤にさせて。
俺は更に付け加える。
「あれは全部、お前の本音なんだろ?」
「……そうだ」
真っ赤な顔で目を伏せながら、琴音は肯定する。
「……悪かったな。普段は可愛らしくなくて……」
琴音はそう言うが、真っ赤になったりシュンとする姿は普通に可愛いくて。
「あ、いや……」
俺は何となく言葉に詰まってしまう。
「ま、過ぎた事を悔いても仕方ない。お酒を飲まされた事は不覚だったが、私にやましいと思う所はないしな」
開き直った琴音は、もういつもの通りだった。
その事に俺は、ふと疑問を持つ。
「そういえばお前、二日酔いとかはないのか?」
「ああ、そんなに酷くはない。昨晩、着替えた時に母が胃腸薬を飲ませてくれたからな。それに、飲んだお酒の量も少なかったし」
「そっか」
琴音の答えに安心して、俺はホッとする。
「それにしても、琴音が酒に弱いとは思わなかったよ。弱点とかそういうの、全然想像付かなかったから、ちょっと意外だ」
「ふむ、そうか?誰にだって一つくらいそういうのはあると思うが」
「……そうだな。じゃ、大学行くか」
「ああ」
そう言って俺が踵を返すと、琴音は後ろで何かを呟いた。
「……今までもこれからも、私の一番の弱点はお前なんだがな……」
何を言ったか聞き取れなくて、俺は振り向く。
「琴音?今何か言ったか?」
「いや……今度は是非、お前が酔った所を見てみたいと思ってな」
「俺かよ……」
笑みを浮かべる琴音に、俺は引き攣った笑みを浮かべた。
思いも寄らなかった琴音の弱点。
まぁでも、このくらいなら俺がフォローすればいい事だし。
……あんなに可愛らしい琴音がみられるのなら、悪くない。
=Fin=