だが、そんな至福の時間も束の間。
琴音の家が近付くにつれて、急に足が重くなる。
琴音の両親は、こんな状態の娘を見てどう思うだろうか?
絶対に何か言われる。
やっぱり婚約者に相応しくないとか言われたらどうしよう。
そんな不安を抱えながら、俺は恐る恐る琴音の家のインターホンを鳴らす。
するとすぐに遠隔操作で門が開けられ、俺は玄関へと進んだ。
琴音の家は敷地が広いから、玄関まで少し距離があるんだが。
今はその道のりが死刑台へと続いているような、妙な錯覚さえ生まれるのは、やっぱり酔っ払った琴音を支えて歩いているからで。
当の琴音は、俺の気も知らないでスゲー幸せそうな顔してやがる……。
玄関には、琴音の母親が立っていて。
「こんばんは。あの、琴音さんなんですが……」
「おかーさま、だだいまもどりましたぁ」
琴音の様子にすぐに気付いたのだろう、怪訝そうな表情で俺を伺うように見てきた。
その事に俺は、簡潔に状況を説明する。
「どうやらジュースと偽られて渡されたお酒を飲んでしまったらしく、こうしてすぐに連れ帰りました」
「そう……それで、この子は何を何杯飲んだのかしら?」
「カクテル系とサワー系を一杯ずつかと」
「その間、弓近君は傍にいなかったの?」
「それが……交流会という名目上、彼女とは席を離されてしまい……遠くから見てるだけしかできなかったので……」
そう説明している間、俺は冷や汗が止まらなかった。
もう、目も合わせられずに下ばかりを見てしまう。
それなのに琴音は相変わらず上機嫌のまま、俺の腕に擦り寄っていて。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………はぁ」
「っ……」
話が一端途切れて沈黙が続く中、琴音の母親が溜息を吐いた時は、思わずビクッと肩が震えた。
けれど。
「まさか……琴音がこんなにお酒が弱かったなんて」
「そう、ですね……」
「パーティの席でも、飲ませないように気を付けなくちゃ」
「はい……」
「今日はありがとうね、弓近君。これからも、この子の事、よろしくお願いできるかしら?」
その言葉に、俺はバッと伏せていた顔を上げる。
「この子もきっと、弓近君が傍にいるから気が緩んでいたと思うの。貴方の話をする琴音は、本当に嬉しそうな顔をしているから」
まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかった俺は、思わず呆けてしまう。
「今もこんなに懐いちゃって……琴音は本当に貴方の事が大好きなのね」
そう言ってフフッと笑う琴音の母親に、俺は自分の杞憂を恥じた。
何よりも第一に、娘の幸せを願う親。
理事長もそうだったじゃないか。
婚約者に相応しいとかそういう事を言うのは、体面を気にするような輩で。
本人の意思を尊重するこの人達が、そんな事を言う訳がない。
そう思ったのも束の間。
「でもね、弓近君。二度と同じ事がないよう、今度からはもう少し気を付けてあげてね?」
そう言った琴音の母親は笑顔だったが、一瞬目が笑っていなかった気がする。
「……はい」
「それじゃあ琴音、そろそろ中に入りなさい」
「はぁい」
そう言って俺の腕から離れて行った琴音だったが、玄関を上がって不思議そうに俺を見てくる。
「琴音、どうかしたか?」
「……近君は?」
「俺?や、俺はもう帰るけど……」
当たり前の返答を返したつもりだったが、何故だか琴音はひどく悲しそうに顔を歪ませて。
「かえっちゃうの……?」
そんな事を言ってきた。
「琴音……?」
そうして琴音は、再び俺の傍に来ると、俺の服の裾をきゅっと掴んで。
「もっと近君といっしょにいたい……」
そう呟いた。
……っ可愛い!
可愛い可愛い可愛いっ!
マジで超可愛いんですけど!?
つーかこんな事されて帰れる訳ないだろ!?
……いやいやいや、落ち着け俺。
今は琴音の母親の前だ。
ちゃんと考えて行動しろ、俺!
再度自分にそう言い聞かせ、気付かれないようにそっと深呼吸する。
「……琴音。一緒にいたいって言ってくれるのは嬉しいけど、もう寝る時間だろ?明日になったらまた逢えるんだから、な?」
聞き分けのない小さい子に言うような言葉だが、今の琴音には丁度いいだろう。
だが。
「……やだ」
「……琴音……」
「近君ともっといっしょにいたいもん。ずっとずっとそばにいてほしいもん……っ」
そう言っていやいやと首を横に振った。
……琴音。それはスゲー嬉しい言葉なんだがな。
今、母親の前だって分かってるか?
さっきから妙に生暖かい視線を、お前の母親からひしひしと感じるんだ。
こっ恥ずかしいやら、居た堪れないやら、俺はどうしたらいいんだ。
頼むからこれ以上我儘言わないでくれ。
俺の心労がかさむ……っ。
そう願っても、当然酔っている琴音には伝わるハズもなく。
あろう事か、泣き出してしまった。
「……っやっと近君のそばに、コイビトでいられるようになったのに……そばにいてくれなきゃ、やだよぅ……」
けれどその言葉に、俺の胸は締め付けられる。
「琴音……」
堪らなくなって、俺は現在の状況なんか一気に吹っ飛んで、琴音をギュッと抱き締める。
お前、そんなに俺の事好きだったのか。
なのに、俺が理事長に直談判するまで、家の為だからって諦めようとしてたのか?
いつもいつも、俺に甘えたいのを我慢してたのか?
酔ってからのお前の行動全部。
お前の本心なんだろ?
「……琴音、お前自分に厳しくしすぎだ、バカ……」
そうして俺は、琴音を抱き締めたまま、琴音の母親に真剣な眼差しを向ける。
「あの……琴音さんが寝るまで、傍にいてもいいですか?」
すると琴音の母親は、微笑んで言った。
「ええ、構わないわ」
「ありがとうございます」
そうして俺は琴音を連れて、琴音の部屋へと上がった。