暫くそうしていると、葵が真面目な声で聞いてきた。
「遊菜」
「はい」
「……キスしてもいいか?」
「は……へ!?」
 思わず返事をしそうになって、遊菜は思い止まった。

 ちょっと待って。
 今先輩何て言った?
 キスって言った?
 てか、自然に返事しちゃったけど、私の事名前で呼んだ?

「だ、ダメですっ!」
「……何で?」
 先程までとは打って変わって、葵は不満そうに言う。
「ええと、その。何て言うか……て、展開が早すぎやしませんか!?」
「俺はそうは思わないけど?」
「いや、早いですって!」
 抱き締められたまま、顔を近付けて言われ、遊菜は慌てて肩を押し返す。
 すると葵は、感慨に耽るように言う。
「……俺は片思い期間長かったからなぁ……」

 片思い。
 そう言われてみれば、いつから私の事を好きだったのだろうか?

「あ、それ聞きたいです。いつからですか?」
「……言ったらキスしてもいい?」
「ぅ……考慮します」
「考慮、なんて難しい言葉、よく知ってたね?」
 からかうようにそう言って笑うと、葵はまぁいいや、と言って話し始めた。

「俺が遊菜を初めて意識したのは部活の時、だな、やっぱ。他の奴等と違って遊菜は真面目にデッサン描いてて。それから少しずつ気になり始めた」

 元々絵を描くのが好きで入った美術部。
 でもウチの美術部は馴れ合いの方が多く、真面目に絵を描いているのは本当にごく少数。
 だから私自身期待外れで、最初は辞めようかなって本気で迷った。

 でも、先輩の絵を見て、凄いって思った。
 こんな凄く良い絵を描ける先輩がいるなら……って辞めなかったんだ。
 ……本人は苦手だったけど。

 事実、あの環境の中で美大に推薦合格出来た先輩はやっぱり凄いと思う。
 頑張ったら、私もあそこまで良い絵を描けるのかなって思った。

「卒業式の時、告白しようと思ったけど、ダメだと思った」
「……ダメって?」
「だって遊菜、あの頃はまだ俺に苦手意識持ってただろ」
 苦笑しながらそう言われ、何も反論出来ない。

 バレてましたか。
 先輩の絵は好きだったのよ。絵は。仏頂面の本人は苦手だったけど。
 実際先輩が卒業した時は内心ホッとしたし。

「卒業して、接点がなくなって。……凄く、後悔した。何で在学中にもっと行動を起こさなかったんだろうって」

 恐らく無意識にだろう。抱き締める腕に少しだけ力が込められた。
 葵は話を続ける。

「何度か、部活に顔出そうか迷ったけどその度に、やる気の無い美術部に美大生の俺は邪魔だろうなって。……本当言うと、家の近くまで行った事もある。だけど、どんな顔して会えばいい?いきなり告白ってワケにもいかないだろ。絶対迷惑だって、正直諦めかけてたんだ」

 そっか。
 いつだったか送ってもらった時、家を知ってたのはそういう事だったんだ。
 ……ストーカー一歩手前?

「遊菜がここでバイトしてるっていうのは、本当に偶然に知ったんだ。それでこれはもうやるしかないなって感じで」
 苦笑混じりの笑み。だが、今度はその表情が少し暗くなる。
「でも最初の頃は避けられるし、話し掛けても凄い警戒心剥き出しだしさ……あれは本当、マジできつかった」
「ご、ごめんなさい……」
 あからさますぎた自分の態度を思い起こして、遊菜は急にバツが悪くなる。
「遊菜は悪くないよ」

 自分に向けられる、優しい微笑と眼差し。遊菜はそれをとても嬉しく思う。
 葵の在学中には考えられなかった事だが。

「遊菜。で……キスはしてもいいのかな?」
「ぅ、えと……はい」
 真っ赤になりながらも、覚悟を決めて眼を閉じる。

 直後、唇に触れる柔らかい感触。
「遊菜……好きだよ」
「……はい……私も、です……」
 頬を紅らめ、はにかむような笑顔で遊菜は俯く。

「可愛い……やっと捕まえた。俺だけの遊菜……」


 葵が見せた今までで一番の飛び切りの笑顔は、遊菜だけが知る、新たな一面。



=Fin=