それは、夕食後のまったりとした時間の中。
水希は時々、工と離れで一緒に話しをする、という事があって。
その時に水希は、ふと思った事を聞いてみた。
「工さん、ご実家には顔を出さなくていいんですか?」
すると工は、すこし困ったような表情をした。
「……水希さんには、まだ話してませんでしたよね。俺の実家の事」
「……?はい」
「ええと……何から話しましょうか……」
そう言って工は、少しモノを考えるようにしてから話し始めた。
≪躊躇いの、その訳≫
工の実家は、ごく普通の家庭だ。
父親はサラリーマンで、母親は専業主婦。ただ、工が大きくなってからはパートにも出だしたが。
工は元々、勉強はあまり好きではなくて、体を動かす方が好きだった。
だけどこれといって熱中したスポーツもなく。
部活も、一つの物に打ち込むという事はしなかった。
そうして中学を卒業する時になって、工は就職を希望したが、親や教師といった周りから“高校だけは出ておいた方がいい”と言われ、近くの高校を受験したのだ。
「……でも確か、高校は中退されたんですよね」
水希がそう聞くと、工は苦笑する。
「そもそも向いてなかったんでしょうね。入るのにも苦労しましたから、すぐに授業に付いていけなくなりましたよ。数学は特に」
「分かります。公式を覚えても、きちんと理解できていないと、テストとかでどの公式を当て嵌めればいいのか分からなくなりますよね」
クスクスと笑ってそう言う水希に、工は微笑みながら頷く。
「……それで、今の水希さんと同じ高二の時でしたか。両親と話し合って、自主退学をしたんです。その時はもう、成績がめちゃくちゃ悪かったですからね」
ハハッと情けなく笑って、工は続ける。
「……随分、父に怒られましたよ。母は、特に何も言わなかったですけど……退学の話を切り出した日の夜、こっそり泣いていたのを知っています。……本当に、
二人には悪い事をしたと思っています」
寂しそうな、悲しそうな笑顔を浮べる工に、水希も口を噤む。
「水希さんが気に病む事はないですよ。もう過ぎた事です」
優しくそう言う工に、水希は沈痛な面持ちを向ける。
「でも……」
「俺は元々、就職を希望してたって言ったでしょう?だから別に、俺にとっては何でもない事なんです」
「それでも……高校で出来た友達とか……」
水希が言いにくそうにそう口にすると、工は首を横に振る。
「俺の住んでた所では最低ランクの高校でしたが、偏差値的には多分普通の高校でしたよ。進学校ではなかったんですが、それでも大半の生徒が進学を選ぶような、
そんな学校で。そこで成績が悪いのは、殆ど不良と呼ばれるような人達でしたからね。クラスメイトとはそこそこ程度の付き合いしかしてなかったんですよ。不良達に
混ざる気はないけど、他のクラスメイトは成績が良かったから、そっちにも混ざり辛くて」
「工さん……」
努めて明るく言った工だが、水希の表情は晴れなくて。
工は水希の髪をそっと撫でる。
「……学校を自主退学して。とにかく体を動かす仕事がしたかったから、手当たり次第に肉体労働系のバイトを始めて。……そういうのって、短期のバイトが多かったから、
結構色々しましたよ。道路工事の現場とか、建設現場の土方とか」
懐かしそうに目を細め、工は続ける。
「肉体労働系は確かにキツイですけど、その分日当がいいんですよ。当日にもうお給料が貰えますし。だから、バイトを始めたその日に家を出て。体を休められるなら
どこでもよかったから、カプセルホテルとか健康ランドとかを利用して、残ったお金はこつこつと貯金して過ごしてたんです」
「家を、出られたんですか……」
余計に俯いてしまった水希に、工は苦笑した。
「……資材搬入の仕事である現場に出向いた時の事です。その頃にはもう、何度か同じような仕事をして慣れていましたから、資材の搬入は比較的すぐに終わって。帰る時に、
その現場にいた大工に声を掛けられたんですよ。“若ぇのに大したモンだ。特に目標にしているモンでもなけりゃ、ウチで手に職付けてみる気はねぇか”って」
その言葉に水希は思わず顔を上げる。
「以前にも簡単にお話した通り、それが親方だったんです。その時は俺もバイト登録してある所に一度戻らなくちゃいけなかったから、返事はしなくて。後日、改めて
個人的にその現場に顔を出したんです。そうして色々と話をして、そうしたら親方が“俺が見込んだ通り、根性のあるヤツだ。やる気があるならウチの離れに
住まわしてやる。その代わり俺は厳しいからな。覚悟しておけ”って言って下さったんです」
「そうだったんですか……」
水希は工が一緒に住み始めて暫くしてから一度、簡単な経緯を聞いただけだった。
だがその中で、彼も色々と大変な思いをしていたのだと改めて知った。
「……だから、今更どの面下げて実家に帰ればいいか分からないんですよ。帰ったらまず、一発は殴られるでしょうね」
苦笑しながらそう言う工に、水希はその手をそっと取ってギュッと握り締めた。
「それでも……工さんは逢いたいと思っていらっしゃるんじゃないんですか?それは多分、工さんのご両親も同じだと思います」
「水希さん……」
「一人で帰るのを躊躇われているのなら、私も一緒に行きます。逢える時に逢っておかないと、いつか必ず後悔する日が来ると思うんです」
必死になってそう言う水希に、工は柔らかな笑顔を向ける。
「……では、今度一緒に付いてきてもらえますか……?」
「……はいっ」
そうして二人は、今度一緒に工の家に行く事を約束した。
人には色んな過去や事情があって。
全く後悔しない人生なんてあるハズがない。
だけど。
後悔しないでいられるなら、それに越した事はないから。
どんなに躊躇いや戸惑いがあっても、心に思う事を、素直に。
=Fin=