≪二人のペース≫


 それは文化祭が終わって数日後の事だった。
「ねぇねぇ、文化祭の時に来てた樫本さんの彼氏って、何してる人なの?」
 友達数人と話していた時に工の事が話題に上って、水希は途端に頬を赤くする。
「え…っと……工さんは、ウチで住み込みで働いて下さっている大工見習いで……」
「住み込み!?じゃあ一緒に住んでるの!?」
 ワッと騒ぎ出されて、水希はしまったと思う。
 住み込み、という点までは言うべきではなかった。
「で、でも彼の部屋は離れにあるから」
「離れって言っても、母屋と繋がってるんでしょ?それなら一緒に住んでるのと変わらないわよ」
 そう反論されれば、水希は何も言えない。

「じゃあ、もうキス以上の事もしちゃってる、とか?」
 興味津々に聞いてきた方も心なしか頬を赤く染めていたが、聞かれた水希はそれ以上に真っ赤になっていた。
「そ、それ以上なんて……っ……キスもまだ、なのに……」
 だが、その言葉で一瞬にして全員が黙ってしまって水希は慌てる。
「え……な、何……?」
「……彼と付き合い始めたのって、いつ?」
「付き合い始めたのは、えと……私の誕生日からだけど……?」
「え、それって……もう5ヶ月以上経ってるのに、キスしてないの?」
「おかしい、かな?」
 水希がそう首を傾げると、全員が思い切り首を縦に振る。
「最近じゃ、中学生でもキスしてたりするのよ?それなのに……付き合って5ヶ月も経つのにまだキスなし、なんておかしいよ!」
「……」
 その言葉は、水希の中に少しだけ蔭を残した。


 それから数日後のデートの時も、水希はずっと考えていた。

 最初の頃は、並んで歩くだけで。
 でも最近は、手を繋いで歩くようになって。
 私はそれだけで嬉しかったけど、でも工さんの方は……?

 同じような事を繰り返し考えて。
 でも、本人に聞く事は何となく躊躇われて。
 ずっと難しい顔をしていたのか、とうとう工に心配されてしまった。
「水希さん、どうかされましたか?ここ最近、ずっと何か悩んでいらっしゃるようですが……」
「え!?えっと、その……」
 そう聞かれて、思わず水希は真っ赤になる。

 ずっとキスの事を考えてたって知ったら、工さんはどう思うかしら……?

「水希さん?」
「あ、あの……友達に、言われたんですが……」
 言いかけて、水希は少しだけ躊躇ってから口を開く。
「その……キス、を……まだしてないというのは、おかしいと言われてしまって……」
 そう言いながら工を見ると、彼も顔を赤くしていて。
「工、さん……?」
 水希が首を傾げると、急に抱き締められた。
「え、あの、工さんっ?」
 抱き締められるのはまだ慣れなくて、水希は慌てる。
「水希さんは、どうしたいですか?」
「え……」
「キスを、しても。平気ですか……?」
「――っ」
 切なそうな工の目に見つめられて、水希は言葉を失う。

 顔が、全身が熱い。
 心臓がどきどきして、破裂してしまいそう……。

「水希さん……」
「は、はい……」
 だがその直後、スッと工が離れた。
「俺は、水希さんのペースに合わせますよ」
「……私のペース、ですか?」
「はい。……水希さんはそもそも、異性に慣れていないでしょう?だから、周りを気にして慌てる事はないんです」
「でも……」
「水希さんはそのままで、ゆっくり慣れていけばいいんです」
「……」

 工の言葉は嬉しかった。
 だけど。
 それだと工に無理をさせる事になるような気がして。

「あ、の……工さんは、どうなんですか……?」
「俺、ですか?」
「無理を、してませんか?」
「……」
「私のペースで、工さんは……」
 そう言って俯く水希だったが、すぐに頬に手が添えられて上を向かされる。
 そうして次の瞬間。
 唇に柔らかい感触がして、だがそれはすぐに離れていった。
「……っ!」
「……我慢、できませんでした」
 再び抱き締められてそう言われ、水希はもう言葉が出てこない。
 しかも。
「可愛いです。水希さん」
 そう言われて、もう一度キスが振ってくるとは思わなかった。


 結局その日、水希はデートどころではなくなって、早々に家に帰る事になってしまったけれど。
 それでも水希は幸せな気分だった。


=Fin=