四月になって、高校が始まる直前に一人暮らしを始めて。
 学費も生活費も、新しく作った口座に振り込まれる事になった。
 毎月の学費と家賃はその口座から引き落とされ、残った分を生活費として使うようにしたのだ。
 勿論、初めから両親に頼るつもりのなかった杏香が、口座を新しく作った方がいいと説得して。
 これなら、毎月引き落とされた分だけ自分のバイト代から補充しておけば、貯めておけるだろうと考えて。


 そうして高校の入学式が終わってからすぐにバイトを探した。
 朝の牛乳配達と、夜の飲食店でのバイト。
 牛乳配達の方はたまたま募集を見つけただけだったが、飲食店でのバイトは前々から計画していた。
 まかないの出るお店なら、一食分食費が浮く事を考えて。
 元々小食だったから、お昼を抜いても平気だったし、調理実習がメインの家庭科部にも入った。
 これなら月々の食費も抑えられるだろう。

 朝は早く起きて、牛乳配達のバイトをして、朝食を食べて学校に行く。
 お昼休みは図書室とかで少しだけお昼寝しておけば、午後からの授業も眠くならないし。
 部活で調理実習があればそれをお昼代わりにして、その後は六時くらいから三〜四時間のバイトで、まかないを食べて。
 帰ったら宿題をして、すぐに寝る。
 お休みの日は掃除をしたり、コインランドリーで洗濯物を洗って……。


 そんな生活も、半月も経てばすぐに慣れた。
 最初は慣れなくて、目の回るような忙しさにただただ付いて行くのがやっとで。
 気付いたら、クラス内で孤立していた。
 部活内ではそうでもないのだが……やはり、他の子と一線引かれてしまっているのに気付いた。
 それも無理はないだろう。
 お昼休みを一緒に過ごす事も、まして放課後一緒に遊びに行く事もしなかったのだから。

「一人ぼっち、ですかー……」

 そう呟いてみた所で、現状は変えようがない。
 バイトを減らせば自分で決めた事が立ち行かなくなるだろうし、かといって友達を作っても付き合いの悪い自分では……。

 学校にいても一人。家に帰っても一人。
 それはとても寂しくて。
 だけど、どこか慣れ始めている自分がいた。


 その状況は、ずっと続くものだと思っていた。
「……市田さん」
 いつものように図書室の隅で、寝ようと机に突っ伏した矢先にそう声を掛けられるまでは。
「……ほへぇ……?」
 声を掛けられると思っていなかった杏香が顔を上げると、そこにはクラス委員長の天津芹が、眉に軽く皺を寄せて立っていた。
「いいんちょ……?」
 何故芹が声を掛けてきたのか分からないまま、杏香は彼の質問に答えていって。
 でも、誰かと話をするのなんて久し振りだったから、気付いたら今の生活状況まで話していた。

「……そんな生活を続けてたら、いつか体調を崩すよ。だから……僕のお弁当、良かったら分けてあげようか?」

 そうして見せられたお弁当箱に、思わず杏香は芹に抱き付いて。
「本当ですかぁ!?わぁっ……!いいんちょはいい人ですー!」
「っ!?」
 驚いた表情の芹に、杏香は今更ながらに恥ずかしくなって、少しだけ頬を染めると同時に申し訳なさが浮かんだ。
 芹の申し出は嬉しいけれど、流石にお弁当を分けてもらうのは、何だか図々しい気がして。
「……でも、本当にいいんですか?」
「い、いいんだ。うちの親、“高校生になったんだから、もっといっぱい食べなさい”って、いつもお弁当大量に作るから」
 そう言う芹は、真っ赤な顔でぎこちない笑顔を作って。
 何だかそれが凄く可愛く見えて、自然と自分も笑顔になるのが分かった。

 いいのかな。甘えても。
 ちょっとだけ、甘えさせて?
 迷惑だったら、すぐに離れるから。

 そう思って、杏香は芹の好意に甘える事にした。
 まさか、芹が餌付け感覚に陥ってるとは知らずに。


 ********************


「芹君。あの時、芹君が図書室で声掛けてくれなかったら、今頃こうして二人でお弁当食べてないんですよねぇ」
 お昼休み。ふと過去の出来事を思い出していた杏香がぽつりとそう言う。
「そうかもね」
「それどころか、そもそもお母さんに赤ちゃんができてなかったら私、一人暮らしさえしてなかったかもです」
「……弟、できない方が良かったって思ってる?」
 そう聞く芹は、心配そうな表情で。
 杏香は首を横に振る。
「いいえー。そうじゃなかったら、芹君とこうして一緒に居れなかったかもですから、これで良かったんですよー」


 そう。
 過去は所詮、過去でしかない。
 どんなに辛い事があっても、どんなに寂しい思いをしても。
 それは“今”という幸せな時に繋がっているのだから。
 過去はきっと、これで良かった。


=Fin=