「お父さん、お母さん。私、来年から一人暮らししようと思うんです」
受験が一段落着いた杏香は、両親に前々から決めていた事を告げた。
高校に受かっても落ちても、一人暮らしをする事を。
「そんな、急に……どうしてだ、杏香」
「そうよ杏香ちゃん。今から一人暮らしなんて、大変よ?」
だが急に告げられた内容に、両親は戸惑いを隠せない。
「生活費とかは、自分でバイトして稼ぎます。高校の費用も。私が受験したトコは校則も結構自由だし、公立だから奨学金を利用すれば……」
「私は反対だ。もしかして、子供が産まれるからか?」
「そんなの、気にする事ないわ。この子が産まれても、杏香ちゃんは今まで通りにしてればいいんだから」
「血の繋がりとかで、遠慮する事はない。この子もお前も、大事な家族だ」
勿論、当然のように反対されたし、二人のその言葉は嬉しかったが、杏香は首を横に振る。
「もう、決めたんです。ほら、赤ちゃんって周りの空気に敏感だっていうでしょう?お母さんにはお祖母ちゃんの助けも必要だと思うし……だから、この方がいいんです」
「しかし……」
「時々はちゃんと顔出しますよ?だって、皆の事が大好きですもん。お父さんも、お母さんも、産まれてくる赤ちゃんも、勿論お祖母ちゃんも……嫌われちゃってるのは、
哀しいですけど」
「でも、私は杏香ちゃんにも傍に居て欲しいわ」
「お母さん……」
その日は結局、話は平行線のまま終わってしまったのだが。
数日後の休日の昼間。
再度話をしていた所に、義祖母が様子を見に訪れた。
「あら、いい話じゃない。私は賛成よ」
「母さん!」
「お義母さん……ですが」
「何事も経験よ?両親想いのいい子じゃない」
そうして義祖母はゆったりと微笑むと杏香に向かって言った。
「自立するのは大変な事だけど、早い方がいいものねぇ?」
「……はい」
ニッコリと笑みを浮べる杏香に、両親が心配そうな視線を向けていた事は、言うまでもない。
その後も、“何か無理をしていないか”とか“せめて一人暮らしは高校卒業後で”とか言われたが、杏香は頑なに拒んだ。
そうして高校の合格が決まり、一人暮らしの準備をする事になって。
アパートの賃貸契約の為、杏香と一緒に藤間が部屋探しをしたのだが。
「……杏香。もっとマシなトコにしないか?」
「いいんですよー。あんまり広くても意味ないですしー」
杏香が選んだのは築30年は経っているかという外観の、キッチン付きの六畳一間のボロアパート。
風呂・トイレ付きの1Kというタイプだ。
そんな所に高校生の娘を一人暮らし、という事に不安なのだろう。
「……でもね、杏香。やっぱり最近は治安も悪いし」
「どこに住んでも一緒だと思いますよー?オートロックのトコでも、事件に遭う人は遭うんですから」
藤間は別の物件を進めたが、意外に杏香が頑固だという事を知っている彼は半ば諦め気味で。
「……じゃあ一人暮らしに必要な物、買い揃えようか……」
もしここに桔梗がいたら、もしかしたら杏香はもう少しマシな部屋に住んでいたかもしれない。
取り合えず、ワンドアタイプの冷蔵庫と、温めるだけの機能の電子レンジ。それと3合炊きの炊飯器と行平鍋を買って。
「洗濯は溜まったら一度にコインランドリーに持って行けばいいですしー、食器類とかは家にあるモノを少し持って行ってー……」
「なぁ、杏香。買う物は本当にこれだけでいいのか?」
あまりにも少ない買い物に、藤間は心配になる。
「はいー。行平鍋って便利なんですよー?これ一つで色々作れますし」
「そうじゃなくてな……」
「お布団も折りたたみ式の小さいテーブルも家にありますしー、あんまり物が多くても入らないですよー?」
「布団は新しく買った方がいいんじゃないか?ウチに帰ってきた時に困るだろう?」
「お客様用のお布団があるじゃないですかー」
ことごとく意見を返され、藤間は何も言えなくなってしまった。