芹が目を覚ますと、目の前に杏香の姿はなくて。
「杏香……?あれ、何で僕に布団が……?」
「あ、芹君。起きましたかー?」
その言葉に振り返ると、そこにはもう制服を着た杏香の姿があった。
「朝食はパンでいいですかー?」
ニコニコとそう聞いてくる杏香に、芹は慌てる。
「杏香、起きて大丈夫?具合は?」
「平気ですよー?もうバッチリ元気になりましたー」
確かに、見ていて辛そうな雰囲気はないし、いつもの杏香だ。
その事に安堵して、だが芹はすぐに彼女の傍に行く。
「熱は……ないみたいだね。良かった」
念の為、手の平を額に当ててみても、熱はないようで。
「でも一応、今日だけは薬飲んでおいた方がいいよ?」
「はいー。じゃあ朝食にしましょうー」
そうして、パンと昨日芹が買ってきたヨーグルトとゼリーを食べる。
「芹君。心配掛けて、ごめんなさい」
「ん?いいよ、別に」
「それと、ありがとうございます。ずっと看病しててくれたんですよね?」
杏香がそう聞くと、芹は真っ赤になって頷く。
「えへへ……なんか、嬉しいですー。でも、お泊りしちゃって、平気だったんですかー?」
お泊り、という言葉に、芹は更に真っ赤になる。
そうだよな。
結局、泊まっちゃったんだよな。
一人暮らしの、女の子の部屋に……。
芹はそう思って、だが勢いよく頭を振ってその考えを打ち消す。
「い、いいんだ。杏香が心配だったから」
「ありがとうございますー。もし芹君が病気になったら、今度は私が看病しますねー?」
「う、うん」
朝食を食べ終わって、二人はかなり早めに一緒に部屋を出る。
芹の家に寄る為だ。
「別に杏香まで一緒に来なくても……」
「今日は一緒に登校したいんですー。……ダメ、ですか?」
「……ダメじゃない」
一緒に家に寄れば、母親にからかわれるのは目に見えている。
だけど。
昨日、ほんの少し垣間見えた杏香の本音。
それを知って、断れるはずもなく。
「……僕の母親、ちょっとうるさいかもしれないけど、いい?」
「……厳しい人なんですかー……?」
「いや、文字通りうるさい人」
「?」
視線を逸らしながらそう言う芹に、杏香は首を傾げた。
芹は家に着くと、何だかソワソワしていて。
「……杏香はここで待ってて」
玄関先でそう言うと、ドアを開ける。
すると、そこには。
「いらっしゃい〜!杏香ちゃん、でよかったかしら?ささ、入って!」
満面の笑みを浮かべる芹の母親がいた。
「……それにしても、可愛らしい子ね〜。芹には勿体ない位だわ」
芹が着替えたり授業の準備をしている間、芹の母親は杏香相手に楽しそうに話をしていた。
「ありがとうございますー。でも、芹君すっごい優しくて、私の方が勿体ないくらいですよー?」
「あらいやだわー。あの子の場合は、ただのお節介よー」
「せめてお人好しって言ってよ……」
「あら、芹。何か言った?それより準備は終わったの?いつまでも杏香ちゃん待たしちゃダメでしょ」
「分かってるよ……」
口を挟んだ芹を軽くあしらって、芹の母親は杏香に向き直る。
「でも、ウチの芹は役に立ったかしら?」
「あ、はい。お薬とか必要な物買ってきてくれましたしー、あとお粥も食べさせ……」
「わーっ杏香っ!余計な事言わなくていいからっ!さ、早く学校行こ!」
杏香の言葉を途中で遮り、芹は母親から早く引き離そうと急かす。
「あ、はいー」
そう言って立ち上がった杏香は、思い出したように言う。
「そうだ。あの、いつも芹君にお弁当分けてもらってるんですけど、とっても美味しいから、一度お礼言わなくちゃって思ってたんです」
「あらあら、そうなの?美味しいなんて、嬉しいわー」
「杏香、早く行こう?」
「はいー」
学校に行く二人を玄関で見送りながら、芹の母親は声を掛けた。
「杏香ちゃん、また遊びにいらっしゃいね?」
「ありがとうございますー」
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい〜」
学校へと行きながら、芹は疲れたように言う。
「ごめんね。ウチの母親、うるさかったでしょ?」
「いいえー?いい人でしたよー」
「そう?」
「はいー。それに、気に入ってもらえたみたいでホッとしましたー」
安堵したようにそう言う杏香に、芹は少し驚く。
「もしかして、緊張してた?」
「そりゃあ緊張しますよー。芹君のお母さんですもん」
誰だって、恋人の親に会うのは緊張するものだ。
「でも、“またいらっしゃい”って言われて、嬉しかったですー」
「そっか。よかったね、杏香」
「はいっ」
こうして杏香の熱から始まった騒動(?)は幕を閉じた訳だけれど。
芹は何だか、どっと疲れた気がした。
それでも。
杏香が元気になったからいいか、と思う。
病気の時は、心が弱って寂しくなるから。
元気になるまで、傍にいるよ。
=Fin=