≪伝えたくない過去≫


 それは、二人で夕飯の買い物をして帰る途中だった。
「お前、鈴原か?」
 突然声を掛けられて振り向くと、そこにいたのは強面の中年男性だった。
 だが清良はその人物を見た途端、敵意剥き出しで睨み付ける。
「種田……っ!」
「隣のそいつも仲間か?それとも、まさか一般人を脅してるんじゃないだろうなぁ」
 蔑みを込めたその視線と物言いに、流石の春斗も表情に不快感を滲ませる。
「うるせぇ!テメェにはカンケーねーだろ!」
「関係ない?それは違うな。お前みたいな不良はいつどこで騒ぎを起こすか分からんからな。職務質問だ」
「……っ!」
「俺を殴るか?別にいいぞ?そうしたら公務執行妨害と暴行罪で少年院にぶち込んでやる。そうすればこの辺もちょっとは平和になるだろ」
「テメェ……」
 明らかに剣呑な雰囲気を纏った清良を、相手の視界から隠すように春斗が一歩前に出る。

『どなたかは存じませんが、それ以上仰るなら誹謗中傷による名誉毀損になりますが』

 その言葉に相手は忌々しそうに顔を歪めると、吐き捨てるように言った。
「あんたもそんなガキに構ってると、後で痛い目見る事になるぞ」

 そうして去っていくのを確認すると、春斗は清良に向き直る。
『もう行きましたよ。誰です、アレ』
「……嫌な奴。マジでムカつく……」
 清良はそれだけ言って、黙ってしまった。


 夕食の間中も、清良はずっと不機嫌そうな表情で。
 夕食後、春斗はさり気なく清良の隣に座ると、聞いてみる事にした。
『先程の人は、どなたですか?』
「……別にどうだっていいだろ、あんな奴の事なんて」
『僕もどうだっていいですけどね。清良さんを侮辱されて不愉快ですし。でも、清良さんの眉間にずっと皺が寄っているのは気になるんですが』
 その言葉に、清良はバツが悪そうに聞く。
「……眉間に皺、寄ってるか?」
 春斗が頷くと、清良は溜息を吐く。
「……あんまり話したくないんだけどな」
 そう言いながらも、ぽつぽつと話し始めた。

「アイツは種田っていって……サツだよ。少年課の」
 相手の素性に春斗は、やっぱり、と思った。
 それらしい事を言っていたので、そうなんじゃないかとは薄々思っていた。
「……何度か、補導された事もあって。アイツはサツの中でも一番嫌な奴だ。アタシみたいな人間は、ゴミだと思ってる」
「……」
「……自分の点数稼ぎの為に、わざと挑発するような言葉を言って。それで挑発に乗った奴を強引に補導するんだ」
『でも、そんなの』
「誰も不良の言い分になんか耳を傾けないから。悔しいけど、アイツが世の中の“正義”なんだよ」
 その言葉に春斗は難しい顔をする。
 それを見て清良は、春斗の肩に頭を預けるように寄り掛かる。

「……初めてサツに補導された時。このままじゃダメだって思って、一時はまともになる努力をしたんだ」

 最初から、なりたくて不良になった訳じゃない。
 親からの理不尽な暴力に耐えかねて、家を飛び出して。
 居場所がなかった清良は、誘われるままに不良グループに入ってしまった。
 それでも、いつもビクビク震えていた。
 暴力を振るわれるのが嫌だったから、先に自分が暴力を振るって。
 補導されたのは、そんな時。

「暫く大人しく過ごしてたんだ。でも、一度不良ってレッテルが付いたらダメなのな。何もしてなくても疑われるんだ」

 暴力事件が起これば、警察はまず不良達に目を付ける。
 証拠もないのにほぼ決定とばかりに決め付けて。

「……疑いが晴れても、サツは不良には謝らないんだよ。“元々、疑われるような事をしているお前らが悪いんだろう”ってさ」

 一度悪の道に染まれば、絶対に信じてもらえなくなる。
 どうあっても信じてもらえないのに、まともになれ、なんて無理な話だ。
 どうせ何をやっても信じてもらえないのなら、頑張ってまともになろうとするのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 そうしてどんどん、深みに嵌っていくのだ。
 容易には抜け出せない、悪の道に。

「アタシ達みたいな不良は、春斗みたいに無条件に受け入れてくれる人が現れなきゃ、まともになんてなれっこないんだよ……」

 清良が話している間中、春斗はずっと彼女の髪を撫で続けていた。
 苦しい、と泣いているようだったから。
『まるで、野犬ですね』
「野犬……?」
『人間に酷い目に合わされて捨てられた元飼い犬達は、野犬になって人間に牙を向きます。人間は信じられないから、自分の身を護る為に』
「……あぁ、たまにテレビとかのシーンであるよな。野犬に噛まれた人間が、抵抗しないで逆にそいつを抱き締めて、心を通わせる、みたいな」
『清良さんも、最初はそんな感じでしたよ。いきなり首を締め上げられた時は、ビックリしました』
「……それは忘れろ」
 バツの悪そうな顔をして清良がそう言うと、春斗は笑みを浮かべる。
『今じゃ、僕にすっかり心を開いてくれてますもんね』
「……っ悪いかよ」
 照れ隠しに投げやりにそう言うと、春斗はフフッと笑った後、急に真剣な顔になる。
『でも、だからこそ話して下さったんでしょう?本当は話したくない事も』
「春斗……」
『辛い事を話して下さって、ありがとうございます』
「……気にすんなよ。でも不思議だな。話したくなかった事なのに、春斗に話したら、ちょっとスッキリした」
『そうなんですか?』
「きっと春斗が、ちゃんとアタシの話を聞いてくれるからだろうな」
 そう言ってニッと笑う清良を、春斗は優しい眼差しで見つめていた。


 誰にだって、辛い過去はある。
 話したくない事も。
 それでもきちんと聞いてくれる人がいて、理解を示してくれたら。
 それだけで少しは、楽になれるのかもしれない。


=Fin=