≪伝える返事≫
それは、季節が梅雨に入ったある日の事。
「うわー……スゲー土砂降り。明日も雨かな」
夕食を終えた清良は窓から外を見てそう呟く。
その日は一日中物凄い土砂降りで、外は昼間から暗く、今も雷が鳴っていた。
『洗濯物が乾かなくて困りますね』
そう言葉を綴る春斗は、今は仕事の真っ最中だ。
「……その感想もどうかと思うぞ」
清良は苦笑しながらそう言うと、春斗の背にもたれ掛かるようにして、足を投げだす。
「でもさ、こうも天気が悪いと、どこにも出掛けれないよな」
つまらなそうにそう言う清良に、春斗は体を捩って彼女の顔を覗き込む。
「何だよ」
どこかふて腐れたような表情の清良に、春斗は笑みを向けると、ノートパソコンの電源を落としてそれを閉じた。
「終わったのか?」
春斗の行動に、清良が首を傾げながらそう聞くと、彼は首を横に振った。
『一旦休憩です。ちょっとお手洗いに行ってもいいですか?』
「じゃあ、アタシはその間に飲み物でも入れとく」
そう言って二人がそれぞれ移動した時だった。
「っ!?」
一際大きな雷が鳴ったかと思うと、フッと電気が消えた。
「は、春斗!?一体何が……」
真っ暗な部屋の中、そう言った清良はハッと気付いた。
春斗、返事できないじゃんっ!
いつもならメモ帳に書いてもらえばいい。
だけど。
真っ暗な部屋の中では字が見えないし、そもそもすぐ傍にいる訳ではない。
最近は簡単な手話なら分かるようになってきた清良だが、それも暗くてはやはり意味がない。
「そうだ、携帯……」
そう思い付いたはいいが、机の上に置きっぱなしだという事に気付く。
仕方なく春斗の所まで行こうとした清良は、壁に思い切りぶつかってしまい、その場にしゃがみ込んだ。
「〜〜っ!……あぁ、もうっ……どうすれば……」
苛つきながらそう呟いた清良の耳に、手を叩く音がする。
「春斗?」
清良が声を掛けると、まるで返事をするように春斗が手を叩く。
その事に、清良はある事を思い付く。
そーじゃん、音なら伝わるから……。
「春斗、“はい”なら一回、“いいえ”なら二回手を叩けよ?」
その事に、春斗は一回手を叩いた。
「よーし。じゃあ春斗。何か明かりになるもん、手元にある?」
叩かれた手は――二回。
「じゃ、台所とかに懐中電灯とかあるか?」
その質問に返ってきたのは、何故か三回で。
「……何で三回。……“はい”でも“いいえ”でもないって事か?」
それにはちゃんと、今度は一回で。
「つまり……懐中電灯がどこにあるか分からないって事か」
またもや一回。
その事に清良は溜息を吐く。
「……この停電って、やっぱり雷のせいだよなぁ」
また一回。
「すぐに復旧すると思うか?」
今度は三回。
「だよなぁ……」
暫くすれば、暗闇に目が慣れるだろう。
そうなったら移動して……。
そう考えていた清良の手に、何かが触れた。
「うわっ!?」
思わず払い除けると、その直後、すぐ傍で手を叩く音がした。
「え……今のって春斗!?」
一回手を叩く音がしたかと思うと、そっと腕に春斗の手が触れた。
そうしてそのまま、体の輪郭を確かめるように触れられ、抱き締められる。
その事に清良は、何故だかとても安心できて、春斗の体にそっと頬を寄せる。
「……電気点くまで、このまま大人しくしてた方がいいかな……」
清良がそう言うと、春斗がそっと髪を撫でてきた。
その心地良さに、清良は目を瞑る。
たまには、こういうのもいいかもな……。
暗闇で互いに顔が見えない、という事に、清良は少しだけ気が緩んでいた。
その直後。
パッと明かりが点き、清良は眩しさに目を細める。
「復旧したみた……」
そこまで言いかけて、清良は唐突に現状を理解する。
春斗の腕の中で、完全に甘えきった体勢でいる自分に。
「〜〜っ!〜〜っ!〜〜っ!」
一気に羞恥心が襲ってきて、清良はバッと春斗の体を両腕で押し離す。
「い、今のは何ていうか、ちょ、ちょっと暗い中で動くのは危ないと思ってだなっ……」
すると春斗はスッと立ち上がる。
「え、あ、春斗……?」
怒ったのか?と清良が思っていると、春斗はメモ帳を持ってきて。
『凄く素直で可愛かったですよ?』
それを見せながらニッコリと笑った。
「〜〜っ変な事書くなーーーーーっ!」
当然、清良はそう叫んだが。
少しの間、真っ赤な顔でふて腐れていた清良だったが、ボソッと口を開いた。
「あの、さ」
「?」
「さっきの、手で叩いて返事。今度から何かあった時、使おうな。風邪ひいた時とか」
その事に春斗は、手を一回叩いた。
喋れなくても、見えなくても。
返事をするだけなら、音がある。
=Fin=