≪伝える手段≫
春斗の仕事は英文書の翻訳だ。
その内容は小説系から専門書まで多岐に渡る。
そこで清良はふと思った事を聞いてみた。
「なぁ。春斗は自分で小説とか書かないの?」
すると今までパソコンに向かって仕事をしていた春斗は、目をパチクリさせる。
「ほら、翻訳する時にも原文そのまま直訳ってワケじゃないんだろ?ちゃんと意味が通じるように考えるのは春斗なワケだから……」
清良の説明に、春斗は少し困ったような表情をする。
『翻訳はあくまでもう文章が出来上がっている状態ですから。一からお話を考える、というのは結構大変な事ですよ?』
「でもさぁ……」
『それに原本の人気があるから、それを和訳したものを出版するんですよ?』
「そっか……売れなくちゃダメなんだ」
『中には自費出版とかありますけど……』
すると清良は、うーん、と考えてから言う。
「じゃあ、実体験を書くとか。ノンフィクションってやつ?」
思い付いた!という感じの清良に、春斗は苦笑する。
『喉の病気で手術をして、声が出なくなった事を、ですか?』
その言葉に清良は、息が止まる感じがした。
何でもないような顔をしている春斗。
でも本当は、誰よりも辛いだろう。
話したくても話せないもどかしさ。
見た目では分からない為に、理解されない辛さ。
付き合いが不便だと敬遠された時の孤独感。
「ごめん……っアタシ、なんも考えナシだった……」
誰にだって、思い出したくない、触れられたくない過去がある。
それを自分は知っていたハズなのに。
「……ごめん。もう言わない」
俯いて顔を歪める清良を、春斗は優しく抱き締めて髪を撫でる。
暫くそうしていると、清良が口を開く。
「……何で春斗はいっつもアタシの事甘やかすんだよ……」
弱々しいその声は、何だか今にも泣き出しそうで。
「そんな風にされたら……アタシ、きっとどんどん付け上がっちゃうよ?」
清良は他人に甘える事を知らない。
だからこういう時、どうしたらいいか分からない。
どう考えたって、悪いのは自分なのに。
『喉の事は、清良さんに出逢う為だったって考えれば、それで帳消しです。甘やかすのは、前にも説明したでしょう?』
「でも……っ」
それでも辛かった記憶が消えるワケじゃない。
完全に帳消しになんて、きっとできない。
清良はそう思うのに、どう言ったらいいのか分からない。
感情を上手く表現できない。
時々、言葉が足りない事が酷くもどかしい。
『そんな顔しないで下さい。清良さんには、いつも笑っていて欲しいから……』
そうしてページを捲って綴られた言葉は、思いもよらないものだった。
『さっきのノンフィクションの話を書く、というのはいいかもしれませんね』
「……え……?」
『清良さんに出逢ってからの事を書くんです。勿論、僕の清良さんへの想いを前面に押し出して』
「……ちょっと待て」
『何ですか?』
「それ、かなり恥ずいんだけど」
『いいじゃないですか。本なんて、自分の伝えたい事を広く大衆に知らしめる為の手段の一つなんですから』
「いらない!春斗の言葉はアタシだけに伝えればいいからっ」
顔を真っ赤にして言う清良には、もう先程までの沈んだ雰囲気はなかった。
仕事を再開しながら、春斗はふと思った。
今は一冊からでも自費出版できる所はある。
だから記念みたいな感じで、先程冗談半分で言った言葉を本当にしてみるのも、悪くはないかもしれない。
それは、大切な人に気持ちを伝える手段。
=Fin=