社会人になって7年目。今年でもう29。
周りはもうみーんな結婚しちゃって、会社では若い子達に“お局様”なんて呼ばれるようになってしまった。
というのも、ウチの会社の女の子は何故か全員、遅くとも26までに結婚して寿退社してしまっているから。
紀平冴。現在独身、彼氏なし。
だからといって、バリバリのキャリアウーマンという訳ではなく、しがないただのOL。
でもね。私にだって譲れないものがあるのよ!
≪譲れないモノ≫
「せんぱーい。紀平せんぱーい」
「何?有藤君」
冴は、現在面倒を任されている新入社員の有藤毅の呼ぶ声に、パソコンの画面を見たまま返事をする。
「先輩って何で結婚しねーんですかー?」
その言葉に、冴ではなく周りの空気が固まった。
そうしてそこからヒソヒソ話が生まれる。
ヒソヒソ話の内容はたかが知れてる。
どうせ“その言葉は禁句だろ”とか。
“行き遅れてんだから、もうちょっと気遣ってやれよ”とか。
“したくても出来ないんじゃないのー?”とかに決まってる。
それよりも。
ちょっとだけ動揺して、数字の打ち込みを間違えた方がショックだった。
あーあ。
細かい数字って、一度打ち間違えるとどこまで打ったか分からなくなっちゃうから嫌なんだけどな。
そう思いながら冴は、毅の問いに返す。
「今は仕事に集中しなさい」
毅はそのまま、ちぇ、とか小さく言って仕事を再開する。
周りも仕事を再開する。
でもきっと女子社員は、“毅君カワイソー”とか言ってるんだろう。
男性社員は、“ま、自業自得だな”とか言って。
……私はただ、こういう場で言う事じゃないと思ったし、やっぱり仕事中だから普通に注意しただけなのに。
有藤毅は新人の中では多分一番の注目株だ。
何って、ルックスが。
私のとこに回ってきたのは、きっと他の人だと仕事に弊害を生じるだろうから。
新入社員の面倒を見るのって大抵ドコの部署でも決まってて。
ウチの部署の新人担当の男性社員達は“イイ男”がくるとやっかむ。
それで過去、何人か転部届けを出したり、酷い人は辞めたりもしたから。
だからって女子社員に任せると、新人君を口説くから。
それで寿退社になった子もいるくらい。
それに“イイ男”の面倒を女子社員に任せると、他の女子社員がやっかむ。
だから私に回ってきた。
私なら男性社員みたいに新人君をいじめないし。
女子社員みたいに口説きもしないから、寿退社の心配も無い。
“お局様”なら“イイ男”は口説かれてもなびかないだろうからと、他の女子社員もやっかまない。
まさに一石三鳥。丸く収まる。
退社時間になると、毅の周りには女子社員が群がる。
デートや飲み会のお誘い。
だが、冴はいつも関係ないとばかりに早々に立ち去る事にする。
例え残業になっても、毅は先に帰らせる。
でないと他の女子社員の反感を買うから。
でも今日は違った。
冴が帰ろうとしていた所で、毅が声を掛けてきた。
「紀平せんぱーい……ミスっちゃいましたー……」
情けなさそうに声を掛けてくる毅に何事かと聞くと、彼に任せた書類作成のデータを、保存と間違えて消去してしまったというのだ。
「……普通間違える?」
「必要ないファイル消してたら、間違えてデータ入ったファイルの方消しちゃったんですよー……」
とほほ、といった感じで項垂れる毅に、冴は溜息を吐く。
任せたって言っても、簡単な書類だし。
ニ、三時間残業すれば済むわよね……。
そう思って、冴は言う。
「じゃあ私がやっておくから。帰っていいわよ」
「え!?俺のミスなんだから、俺も残りますよ!……手伝っては欲しいですけど」
でもね。
さっきから女子社員の皆さんの視線が痛いんですけど。
「俺も残ります。それに、いつまでも甘える訳には行きませんから」
甘やかしてるつもりは無いんだけど。
……でも、時期的にもちょっとずつ独り立ちはしてもらいたい所だしなぁ……。
「じゃあサクッと終わらせましょう。資料半分貸して」
「はいっ」
そう言ってなるべく女子社員達の方を見ないようにして、仕事に取り掛かった。
残業する人は他にいなくて。
暫くすると室内には冴と毅の二人だけになった。
「紀平せんぱーい」
「何ー?」
キーボードを叩く音以外、しーんと静まり返った室内。
「……もし俺が、データ消去しちゃったの嘘って言ったら、怒ります?」
その言葉に、冴の手がピタッと止まる。
「……嘘?」
「だってー。こうでもしなきゃ、先輩とゆっくり話も出来ないじゃないっすかー」
「嘘なの?」
「はい」
その言葉に、冴はパソコンの電源を切ると、自分の鞄を持って立ち上がる。
「お疲れ様でした」
「ちょ、先輩!待って下さいよっ」
帰ろうとする冴を、毅は腕を掴んで引き止める。
「……貴方のせいでねぇ」
振り向かずに俯いたまま、冴は喋りだす。
「貴方のせいで私、他の女子社員から反感買っちゃったんだけど!?」
「……それについては、すみません」
毅はその言葉に思い至ったのか、素直に謝る。
「でも俺、先輩と一度でいいから話したかったんですけど」
「……何それ」
「だって先輩、仕事終わるといっつもすぐに帰っちゃうじゃないですかー。仕事中に話しかけると“仕事に集中しなさい”って、そればっかだしー」
そう言って毅は、いたずらっ子みたいな表情で笑うと、提案してきた。
「という事で、飲みに行きましょう!」