「彩兄、まだいる!?」
 そう言いながら文の部屋の扉を開けた明だったが、相変わらず寒い室内の温度と、それと同じく冷たい視線の文に思わず動きを止めた。
「あ……ふ、文兄……」
 自分の事ですっかり忘れていたが、彩と茅に文の彼女の事を話したのは他でもない明自身で。

 やばい。
 文兄、滅茶苦茶不機嫌だ……。

 それは当然だ。
 騒がしいのを好まない文にとって、彩と茅の2人はまさに嵐。
 しかも文に彼女ができた、という事でテンションは上がりまくってるだろうから、余計に騒がしかった事だろう。

 そんな事を思って、明が顔を引き攣らせているというのに、空気が読めないのかわざとなのか、呑気な声が上がった。
「どーした、明。おにーさまに何か用かな〜?」
「あ……えと、今日俺を部屋から連れ出す時、机の上に置いてあった紙、知らない?」
 文を気にしつつ、だが明にとっては完成した歌詞の方が重要なのでそう聞くが。
「机の上に何枚かあった気もするけど。何、それがどーかしたのか?」
「その中に、っていうか、一番上にあった紙に歌の歌詞が書いてあったと思うんだけど」

「ん〜〜〜?色々書き殴ったような紙はあったけど、きちんと書いてある、って感じのは……知らないなぁ?」

 彩のその答えに、明はがっくりと肩を落とす。
「どうしたの、明君。その紙に何かあるの?」
 流石に明の落ち込みぶりが気になったのか、茅もそう聞いてくる。
「それが……さっき話した、徹夜で完成させた歌の歌詞を書いた紙だけなくて……」
「それなら書き直せばいいだろーが」
 あっさりそう言う彩に、明は悔しそうに視線を逸らす。
「……なかった
「んー?聞こえねーぞ」
「……思い出せなかったの!書き直そうと思ったけど、完成直前はもう殆ど眠かったから……」
 悔しさのあまり尻すぼみになるその言葉に、意外にも文が口を開いた。
「……そういう時に書いたものって、気分がハイになってるから……大体後で冷静に読み返すと、凄く意味不明だったり、かなり恥ずかしい内容だったりするけど……?」
「うっ……」
 文の指摘に、明は言葉を詰まらせる。

 なんかそれ、当て嵌りそうな気がする……。

 夜中に書いたブログやツイッターの発言を後悔する、なんてよく聞く話だ。
 何であんなこと書いちゃったんだろう、とか。
 寝落ちして助かったけど、このメール送ってたら絶対人間関係終わってた、とか。

 それを考えると、凄く満足のいく歌詞が書き上がったハズ、っていうのも自分の気のせいで。
 意味不明で支離滅裂な内容だったからこそ、今それを思い出せないんじゃないか?とか思えてきて。
 そうなると、折角だけどもう時間もないし、今回の作詞は諦めるしかない。
 何より、絶対に妥協はしたくないのだ。
 今度は余裕を持って、今からちょっとずつでも納得のいく歌詞を書くのもいいかもしれない。
 次の機会がいつになるか分からないけど、そうそう長い時間ではないだろう。

 そう思い直して、けれどやっぱりスパッと切り替えることもできなくて。
「……茅さん。今回は、この間出した歌詞でお願いします……」
 明は、力なくそう言った。
「まぁ、そう気を落とすなって。今にきっと良い事もあるだろうさ」
 慰めるようにそう言う彩に、だが明は苦笑しかできない。
「……そうだといいけどね」

 晶さんにRAIKAを、もう一人の自分を認めてもらうチャンスだったのに。
 本当に、何やってんだか……。

 思えば、RAIKAとしての自分は空回ってばかりだ。
 AYAの弟、としてじゃなく。
 自分自身を見て欲しかったから、茅姉の誘いに乗って始めた事なのに。
 表面的には上手くこなせていても、中身がなくて。
 それにやっと気付けて、確かに変わり始めたけど。
 ……今回みたいな事になるしで。

「もっとしっかりしなきゃな……」

 明はそう呟いて、こっそりと溜息を吐いた。
 それを兄二人が見守るように見ていた事に、明は気付かなかったが。


「それにしても、明はお手柄だな〜!」
 いきなり、しかも殊更明るくそう声をあげたのは彩だ。
 しかし、お手柄、と急に言われても、明には何の事か分からなくて。
 思わず首を傾げてしまう。
「彩兄、急に何の事?」
「何って、文の彼女の事以外にないだろ?いやー、まさかあの文に彼女とはねー」
 ニヤニヤしながら文に視線を向ける彩に、だが明は一気に顔を青ざめる。

 そうだった。
 忘れてたけど、さっきこの部屋に入った時の文兄、滅茶苦茶不機嫌だったじゃん……!

 自分の事ですっかり頭から抜け落ちてしまっていたが、ここは文の部屋で。
 先程まで、彩と茅から散々質問攻めだったりからかわれたりしただろう状況を作ったのは、紛れもない明だ。
 そのことを再び明確に思い出し、明の視線は自然と顔ごと下を向いてしまう。
「ふ、文兄……ホント、ごめん……」
 恐る恐るそう謝罪の言葉を口にすると、文が盛大に溜息を吐くのが聞こえた。
「……まぁ、遅かれ早かれこうなってただろうから。もういいよ」
 その言葉に、明はチラっと視線だけを文に向ける。
 するとそこには、仕方がない、といった感じの文の顔があって。
 明はホッと息を吐いた。

「で?三人とも、仕事はいいの?」

 文の言葉に、三人が三人とも、仕事の合間を縫ってここに来た事を思い出して。
「そうよ、そろそろ次の現場に行かないと。明君、行くわよ」
「そうだね。彩兄は?」
「うーん。俺も次の仕事があるなぁ」
 そう言ってそれぞれが次の仕事に行く為に席を立つ。
「じゃーな、文。話の続きはまた今度な〜」
「私もまた来るわ、文君」
 そう言った彩と茅に対して。

「二人は暫く出入り禁止」

 文は冷たくそう言って。
「「えぇーーーーー!?」」
「明。……色々、頑張って」
 抗議する二人を無視して、明にはそう声を掛けてくれたのだった。