≪特別≫


 ある日の弓道部の部活中。
「早坂センセーって弓道段持ちなんですよねぇ?たまにはセンセー自らお手本見せて下さいよぉ」
 そう直樹に言ってきたのは、一年生の女子部員で。
「はぁ?お前なぁ……俺の格好見てから言え。道衣着てないだろうが」

 道場で射をする時は道衣を着る。
 これは部の決め事で。

 だが、その女子部員の提案に、あろう事か他の部員も乗ってしまった。
「あ、俺も見たいです!」
「私も。だって、射形が綺麗じゃないと上の段取るの難しいんでしょ?」
「まぁ……そうだが……」
 こうなるともう、一度やらないと収まりがつきそうもない。
「……分かった。一度だけだぞ?誰か矢と弽(ゆがけ)貸せ」
 矢と弽は各自で購入だが、弓は部のものを貸し出し、という形で使っている。
 何故かというと、矢と弽はどうしても、個人に合った物を使わないと危ないからだ。

 直樹はネクタイを外し、借りた弽を嵌める。
「お前ら、制服でやるなよ?」
 そう釘を刺しておいて、弓と矢を構えて姿勢を正す。

 その瞬間、場の空気が変わった。
 本座で礼をし、射位に立つ。
 足踏み、胴造り、弓構え、打起し、大三を経ての引分け、会、離れ、残心。
 射法八節の全ての動作が綺麗に整い、矢は勿論見事に的を射た。
 それを規定通り四度行い、矢は皆中した。

 そうして再び本座まで戻ってきて最後に礼をした所で、直樹が口を開く。
「……これで満足か」
 その瞬間、それまでシーンとしていた射場内が途端に歓声に変わる。
「凄いです!先生、見直しました!」
「もー本当にカッコよかったーっ!」
「今度からセンセーも道衣着て練習混ざって下さいよー」
 だが直樹は面倒臭そうに、弽を外しながら言う。
「一度だけって言ったろ。ほら、練習再開!」
 その言葉に、渋々といった感じで部員達は練習を再開するが。

 まさかこの事が後で少し面倒臭い事になるとは、直樹は予想だにもしていなかった。



【用語補足】
・弽(ゆがけ)=弓を引くための道具で、鹿革製の手袋状のもの。弦は親指根に掛けて弓を引くが、その際弦から右手親指を保護する為に使う。

・本座(ほんざ)=射位に入る直前の待機場所。

・射位(しゃい)=実際に射を行う場所。

・射法八節(しゃほうはっせつ)=射法とは、弓矢をもって射を行う場合の射術の法則をいい、その基準の射の運行を八節に分けて説明する。その内容が、足踏み、胴造り、弓構え、打起し、引分け、会、離れ、残心の八節。

・大三(だいさん)=押し手を大目に(強めに)、引きを三分の一(押しを3分の2に対して引きは3分の1)という意味。射法八節の引分けの動作に含まれるが、これで射の成否が決まる場合が多いと言われる。