「……言いたくないっ」
直後そう言って横を向いた音々子の首筋に、怜人はあるものを見つけて目を見張る。
「おい音々子、ちょっとそれ見せろ!」
思わず立ち上がり音々子の傍に行くと、その細い肩を掴んだ。
「い……嫌っ!」
悲鳴にも似た叫び声に、怜人は一瞬ビクッとする。
気が付くと音々子は怯えていた。それも尋常ではなく。
「音々子……」
首筋にあったのは浅黒い紫に変色した痣。それもどうやら複数。
「……虐待、だな?」
その痣は明らかに、他人からの力任せな暴力によるものだと分かった。
「……同情なんかで、飼って欲しくない……」
そう言った音々子の声は、少し掠れて、か細いものだった。
先程までのあの生意気な態度はどこへやら、今、自分の目の前にいるのは“か弱い女の子”という形容がピッタリな少女。
恐らくはこれが、本来の彼女の姿。
今までのは全て自分の身を守る為のただの虚勢で。
そう思ったら何だか居た堪れなくなって、怜人は思わず音々子を抱き締めていた。
優しく、そっと、壊れ物を扱うかのように。
でないと本当に、壊れてしまいそうだった。
それと同時に、愛しさが込み上げてくる。
「音々子……」
「な、何だよ急に……っ!離せよっ!」
急な事に戸惑ってか、音々子は怜人の腕から逃れようと暴れる。
だがその力は弱々しく、怜人は構わず抱き締める腕に力を込めて言う。
「……同情はしない。俺が飼うって決めたから、だから音々子を飼うんだ」
そうして優しく髪を撫でてやる。
「怜人……」
暫くお互いに黙ってそうしていたが、次第に恥ずかしくなってきたのか、音々子は顔を真っ赤にして再び腕の中で暴れだした。
「も、もういいだろ!?離せ!」
「はいはい……そうだ、お前、荷物ってあれだけ?」
音々子を離し、怜人はふと唐突にその事に思い至る。
彼女を拾った時、傍にあったのは小さなボストンバッグが一つだけで。
「あ、そうだ俺の荷物!ちゃんとある?俺にはもう、あれだけしかないんだ」
音々子も今の今まで忘れていたらしく、慌ててそう言う。
まぁ、目が覚めたら突然知らない男の部屋にいたんだから、内心では動揺していたんだろうな。
そう思って、だが怜人は音々子の言葉が引っ掛かる。
「ちゃんとある。でもあれだけって、お前……」
どう考えてもあの大きさでは1〜2日分ぐらいの着替えしか入らない。
「俺、本当に自分の物って言えるのはあれだけしかなかったんだ。他の物は施設を思い出すから、持ってこなかった」
悔しそうにそう言う音々子に、怜人は眉をしかめる。
施設、という事はつまり……。
「そう、俺は施設で育ったんだ。両親は小さい頃に事故で死んだ」
怜人は絶句した。
つまり音々子は施設で虐待を受けていたのだ。
きっと今まで一人で耐えてきたのだろう。
だからこその虚勢。
「施設を出たのは身の危険を感じたから。アイツ等、俺を売る相談してたんだぜ?本当、最っ低の連中」
吐き捨てるようにそう言って音々子は顔を顰めた。
「……訴えるか?業務停止処分ぐらい簡単だぞ。慰謝料だって……」
正直腹立たしかった。
血も繋がっていない赤の他人が音々子を虐待し、更に売り飛ばそうとまでしていたなんて。
じゃあ実の親ならいいのか、と聞かれたら、それはまた別問題だが。
「いいよ。もうアイツ等には関わりたくない。だから守って。俺が施設に連れ戻されないように、ちゃんと……」
「平気だ。施設相手なら、正式な手続き踏んで引き取ればいいだけの話」
怜人がそう言うと、音々子はしがみ付くように彼に抱き付いて、その胸板に顔を埋める。
「……本当?」
「本当。……だからもう忘れろ」
「うん」
そんな音々子が可愛くて、怜人は優しく髪を撫でてやる。
そのまま音々子の髪に顔を埋めると、何だかいい匂いがして。
頭のてっぺんに軽くキスをした。
「何するんだいきなり!」
すると音々子はそう叫んだかと思うと、怜人の脛を思い切り蹴り飛ばした。
「〜〜っ!?」
思わずその場に蹲って脛を押さえると、頭上から音々子の声が降ってきた。
「怜人が変な事するからだぞ!?」
変な事って、つまり。
「頭に軽くキスしただけじゃねーか!?」
「〜っ!もういい、寝る!」
完全に機嫌を損ねた音々子は、そのまま寝室へと向かう。
「おい、音々……!」
しかし怜人の呼び掛けは、バタンと乱暴に閉められたドアに遮られた。