「なぁ、こっち向けよ……」
再び耳元で囁かれ、時音の心臓は強く跳ねる。
それを悟られないように、一度深く深呼吸してから、クルッと久我へと向き直った。
「……何でしょうか」
時音がそう聞くと、久我は意地の悪そうな笑みを浮かべて言う。
「俺さぁ……今まで本性バレた事ってないんだよ。だからさ」
久我は一度そこで言葉を切って、顔を思い切り近づける。
「いっその事、俺の女にならないか?」
「……はいぃっ!?」
一体何をどうしたらこういう発想に行き着くんだろうか?
だが時音は気を取り直してキッパリと言う。
「お断りします」
ちなみに時音は目が悪く、メガネを掛けているにも関わらず、ついついモノをよく見ようと目を細める癖がある。
ついでに一重なものだから、目つきの悪さは相当なもので。
だからいつも“何怒ってるの?”と言われる。
つまり相手を睨み付けるのは(不本意ながら)得意なわけで。
大抵の人は怯むというのに、久我は全く怯まなかったどころか、ニヤリと笑みさえ浮かべて言う。
「悪いが男に媚びるような女より、多少気が強くてはねっ返りな方が好みなんだ。……気に入ったよ、上条時音。お前は今から俺の女だ」
「なっ……!」
すぐさま反論しようとしたが、すばやい動作で口を塞がれる。
「っ!?」
キスという行為で。
「ゴチソウサマ」
何が何だか分からず呆然としていた時音は、その言葉に我に返ると同時に、久我の頬を思いっ切り引っ叩いていた。
「最低」
そうして時音は教室を飛び出した。
「へぇ?この俺に手を上げるとはな。さて、どうやって手に入れようか……」
まさか、クスクスと笑いながら久我がそう呟いていたとは知らずに。
そこまで回想して、時音は改めて怒りが込み上げてきた。
普段優等生面してるくせに、あの変わりようは何!?
何が“俺の女”よ。勝手に人のファースト・キスを奪っておいてふざけるな!ムードもへったくれもないじゃない。
信じられない。詐欺よ、詐欺!
と、昨日何十回も思った事を繰り返す。
「時音?」
そう声を掛けられ、時音はやっと傍に久我がいた事を思い出す。
「呼び捨てにしないでくれる?」
「時音は俺の彼女だからな。当然の権利だろ」
「なってない」
一度キッと睨んでみるが、昨日と同じく全く怯まないのでそっぽを向く。
「時音。こっち向けよ」
「嫌。ってゆーか、アンタの優等生の仮面はよっぽど分厚かったようね。いつものアンタからは想像も付かない程の変わりようで」
時音はこれでもかと皮肉たっぷりにそう言う。
「お褒めに預かり光栄だね。だからこそ昨日のアレは失態だった。でもま、こうして時音という彼女も手に入れたし、結果オーライかな」
だが、逆に楽しそうに返されてしまって。
そうして久我は意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「女避けには丁度いい」
その言葉に、時音は反射的に久我を見る。
女除け、ですって?聞き捨てならないわね。
「何それ」
「いや、よく告白されるんだけど正直ウザイんだよなー、次から次へと。学校関係じゃ優等生の肩書きが邪魔して、つまみ喰いも出来やしない。だからその都度断るのも面倒で」
「で、女避け?」
てか、今サラリと凄い事言わなかった?
「そ。それに時音ぐらい気が強くなきゃ、多分俺の女は務まらないと思うし」
「はぁ?どういう意味よ、それ」
「すぐに分かるさ」
意味深な笑みを浮かべて、久我はそれ以上何も言わなかった。