神無の家は里の中程にある。
 土壁と、わらぶき屋根でできた、里では一般的な家だ。

 広場での騒ぎを誰かが告げたのだろう。家では神無の両親が待っていた。
「どうぞ御客人。何のおもてなしも出来ませんが、お寛ぎ下さい」
 そう言った神無の父親がフォリシスを歓迎していないのは、火を見るより明らかだった。

 隠そうともしない不機嫌な声に仏頂面。
 もしこの状態で機嫌が良いと言われたら、不機嫌な時など想像も付かない。

「……まぁ歓迎されるとはこれっぽっちも思っていませんでしたケドね……」
 フォリシスはポツリと誰にも聞こえないように呟いた。
 だが、次には何事もなかったかのような笑顔で話を切り出す。
「単刀直入に言います。私は大賢者様の使いで神無さんを迎えに来ました」
 どうせ歓迎されていないのだから、回りくどい言い方は返って逆効果だろうと、フォリシスは話を続ける。
「今、魔法王国ラノスに不穏な影があります。それを防ぐ為に、神無さんの力が必要なんです」
 その言葉を聞いて神無は嬉しくなった。

 必要とされている。
 まだ、自分に何が出来るか分からないけれど。

「私行く、行きたい!フォリシス、私、貴方に付いて行くわ」
 思わずそう言って、だが、神無の父親はそれを許さなかった。
「神無!こんな外からの得体の知れない男の言葉など、真に受けるんじゃない!」
「でも……!」
「口答えは許さん!……フォリシス殿といったか。どうかお引き取り願おう。そもそも神無は普通の娘だ。不穏な影とやらを防ぐのに必要な力とやらも持ってはいないし、 役に立つとも到底思えません。人違いでは?」

 厳しい口調だった。それでいて、本当に自分の娘を大切に想うが故の言葉だというのが感じ取れる。

 しかし、哀しいかな娘には通じていない。
「私以外に夢月神無って、誰もいないでしょ?それに気付いてないだけで何か不思議な力を持ってるかもしれないじゃない。勝手に決め付けないでよ!」
 悪化する親子喧嘩の雰囲気を感じ取り、フォリシスはやれやれと思う。
「まぁまぁ……これ以上こちらにいても仕方ないようなので、私はこれで」
 すると神無は愕然とした表情で言う。
「行っちゃうの!?」
「今日はもう遅いですし、宿で一泊して、それから帰ろうと思います。願わくば、その間に気が変わって下さるといいんですが。では、私はこれで」
 あっさりと引き下がる態度に、神無はどうしようと内心焦り、父親の方は拍子抜けしている。
 そんな空気の中、フォリシスは神無の家を後にした。

「……もしこれで神無さんを連れて戻れなかったら、お師しょー様に何て言おう……あーあ。すっごく怒られるんだろうなー……大体いつもいつも お師しょー様は僕をパシリみたいに扱って……」
 宿に向かいながら、ブツブツと自分の師匠である大賢者の悪口を呟いて。


 一方その頃。
 神無の家ではずっと押し問答が続いていた。

「里の外に行く事は私の夢なのよ!?折角巡って来たチャンスなのに、行かせてよ!」
「駄目だ!外などロクな事がない。それにお前はまだ子供だ。世の中というものをまだ理解していないお前が里の外に出た所で、後悔するだけだ!」
「だから勝手に決め付けないでって言ってるでしょ!?今行かない方が絶対に後悔する!」

 お互いに一歩も引こうとはしなかった。
 里の外に出たい娘と、行かせたくない父。
 どちらも頑固だった。

 だが、不毛な言い争いも、唐突に幕を引く事になる。
「子供は子供らしく、親の言う事だけを聞いていればいいんだ!」
「!」
 その言葉に神無はカチンときた。
「最っ低……!」
 神無は心底嫌悪し、吐き捨てるようにそう言うと、自分の部屋へと戻った。
「神無!」
「……今のはあなたが悪いんですよ?」
 そう言って、それまでずっと黙っていた母親が口を開く。
 静かに、たしなめるような口調で言われ、父親は重く息を吐いた。
「……お前は、どう思う?」
 情けない口調で問われ、母親は苦笑して答える。
「あなたはどうなんです?」
「俺が聞いているんだぞ」
 今度は拗ねたような物言いに、母親はそうですね、と少し考えてから言う。
「まぁ、あの子は昔から“いつか外の世界に行きたい!”っていうのが口癖みたいなモノでしたし……好きにさせてやったらいいんじゃないですか?」
 それに、と続けて母親は言う。
「あの子が生まれた時、ご託宣で言われた事、憶えています?」
「……憶えて、いるとも……」
 父親はそう言って息を吐き、口を閉ざす。
「……ご託宣、か……これも必然なのか……」
 ポツリとそう呟くと、父親はもう一度息を吐く。
 居間には、重たい空気だけが流れていた。