両親がそんな話をしているとは露知らず、部屋に戻った神無は荷物を纏めていた。
最低限の物を、最小限の荷物で。
荷作りを終えると、神無は朝方を待って窓から家を出た。
机の上に書置きを残して。
『父さん、母さん、ごめんなさい。私はフォリシスに付いて行きます』
と。
外はまだ薄暗く、朝靄の立ち込める中を、宿に向かって走る。
そうして宿の窓から部屋の中を覗き、フォリシスを見つけると窓を叩いた。
「フォリシス、フォリシス」
微かに聞こえる押し殺したような声と、窓をコツコツと叩く音に、フォリシスは目を覚ます。
「ん……神無さん……?」
まだ眠たい目を擦りながら窓を開け、ふわぁぁ、と大きな欠伸をする。
「どうしたんですかぁ……?こんな朝早くから……」
そうしてもう一度欠伸をする。
「私、貴方に付いて行く。それで、無断で家を出てきちゃったから早く出発したいの」
神無は必死にそう言うが、フォリシスはあくまでのんびりと言う。
「そうですかぁ……それは大変ですねぇ……」
どうやらまだ完全には起きていないらしい。神無はフォリシスの頬を抓る。
「っ痛!……いったぁ……何するんですか、神無さん……」
「目、覚めたでしょ?」
フォリシスは抓られた頬を擦りながら文句を言うが、ニッと笑いながら言う神無に何も言えなくなって、軽く息を吐いた。
「……はい。ですが、今出発しても船は出てないでしょうね」
苦笑しながら見上げた空は、もうかなり白み始めていたが、それでもまだ人々が活動し始めるには早い時間。
「取り敢えず朝御飯、食べませんか?一番最初の船が出るまで、その位の時間はあるハズです。それともそうするだけの時間的余裕もありませんか?」
フォリシスの提案と問いに神無は考える。
両親があの手紙に気付くとしたら、多分もっと遅い時間だろう。
そう結論付けて、神無はフルフルと首を横に振った。
「では、そうしましょう」
そう言ってフォリシスはニッコリと微笑んだ。
宿の主人に追加料金を払って、朝食を二人分作ってもらい、それを食べる。
白い御飯に焼き魚と味噌汁という、清涼の里では一般的な朝食も、フォリシスにしてみれば珍しい物だ。
「このオハシっていう物、使いにくいですね」
そう言いながら、フォリシスは箸の扱いに苦戦していた。
「まぁ慣れないと難しいけど……外には箸はないの?」
結局彼は箸をフォークのように刺して使う事にしたらしく、握っている。
「フォークとかスプーンが主ですね。オハシはこの里独自の文化でしょう」
「ふーん」
「……昨日は結局詳しい事を話せてませんから、今話しておきましょうか」
そうしてフォリシスは話し始めた。
そもそもの事の起こりは十五年前だった。
ある時、月の宝珠と呼ばれる虹色の珠が眩い光を放ち、次の瞬間には七つの光に別れて飛び散ってしまったのだ。
「月の宝珠は魔法王国ラノスの王家の血を受け継ぐ者が、代々大切に保管していた物です。そして、珠が飛び散った日から、国王は床に伏せられました」
その頃から、何かがゆっくりと、しかし確実に動き出していた。
「まぁ、お師しょー様も最近になってようやく動き始めたワケですが」
苦笑するフォリシスに、神無はふと聞いてみたくなった事があった。
「ねぇ……何で私なの?そりゃあ確かに嬉しいけど、でも……」
しかし、返された答えは神無にとって全く意外なものだった。
「知りませんよ」
「……へ?」
聞き間違いだろうか?聞き直す神無にフォリシスは再び言う。
「僕は知りません。お師しょー様に言われて貴女を迎えに来た。ただそれだけです。理由はお師しょー様に会った時に直接聞いて頂くしか……
大体お師しょー様は僕には何も教えてくれないくせにパシリばっかりさせて……」
最後の方はもはや愚痴だ。
というか、畏まった場では“私”で、普段は“僕”になっている、というどうでもいい事に神無は気付く。
「……あ、すみません。ちょっと愚痴が……そろそろ出ましょうか。続きは船で話しましょう」
そう言ってバツが悪そうにフォリシスは立ち上がった。