生徒会室のドアに手を掛けると、中から弓近と山吹の声が聞こえてきて。
「――には内緒だぞ」
「分かってますがな」
 その内容に首を傾げる。
「何をだ?」
 ドアを開けると共に声を掛けると、弓近は思い切りビクッと肩を竦めた。

 何か疚しい事でもあるのか?
 私に知られては不味いような話をしていた、という事か?

「お、男同士の話だ。な?太陽、星」
「え、あ、そ、そうですわ!」
 どもりながらそう言う弓近と山吹に、浅葱もこくこくと首を縦に振って同意する。

 ……本当に何の話をしていたんだか。
 気になるが追求するのも可哀想だしな。
 ここはスルーしておいてやるか。
 いつまでも入り口を塞いでいては、若竹も中に入れないし。

「……まぁいいが。それよりも私が席を外している間に随分と親しくなったみたいだな」
 そうして私の後から入ってきた若竹は、律儀にも頭を下げて言う。
「あの、遅れてすみません」
 すると山吹が笑いながらもある提案をした。
「そんな畏まらんでもええて。せや、どうせやから全員名前で呼び合うっちゅーのがええと思うんやけど」
「は……?」
「いいな、それ」
 弓近は呆れたような顔をしているが、山吹の提案はいい考えだ。
 特に若竹にとって、大きな進展になるかもしれない。
「さっすが会長はん!話が分かる〜」
 だが若竹は流石にすぐに話を理解できなかったのか、付いていけていようで戸惑っている。
 そんな彼女に弓近が簡単に説明をする。
「若竹。実はさっき話の流れで、苗字とか役職ではなくお互いに名前で呼ぶ、という事になってだな」
 その弓近の説明に、私は首を傾げる。
 別に挙動不審になるような会話をしていた訳ではなさそうだが……名前云々の前にしていた会話に何かあったんだろうか?
「せやから、俺らは会長はんらの事を、“琴音先輩”“弓近先輩”って呼べばええんやて」
「え……いいんですか?」
 遠慮がちにそう聞いてくる若竹に、私は思考を中断して快く頷く。
「えっと、俺は満月ちゃんって呼べばいい?」
「あ、はいっ」
「じゃあ私は満月って呼ぶ事にしよう」
「はい。……琴音、先輩」
 若竹――満月が若干頬を染めているのは、やはり緊張からくるものだろうか?
 すると太陽が釘を刺すように言う。
「満月ちゃん、俺や星の事もちゃんと名前で呼ばなあかんで」
「浅葱君の事も、名前で……?」
 呟くようにそう言った満月は、ゆっくりと星に視線を向けて。
 目が合ったんだろう。いきなり顔が真っ赤になった。

 初々しくて、見ていて本当に可愛らしい。
 恋する女の子はいいものだな。
 ……なのに星は満月の気持ちに欠片も気付いてないみたいだな。
 鈍いのか、ただ単に親しくない人間に対してあまり関心がないだけなのか……。
 前途多難かもな、満月は。

 すると太陽が今度は星に釘を刺す。
「星もちゃんと満月ちゃんの事、名前で呼ぶんやで?」

 どうやら太陽は満月の気持ちに気付いてるようだな。
 配慮に欠けると思っていたが、なかなかどうして、気の利いた事をするじゃないか。

「……太陽の奴は強引だからな。嫌なら断るといい」

 ……それなのに星ときたら……。
 ま、戸惑う満月の様子を見て勘違いしたんだろうが。

 だが満月は意外に、ここぞという所で自分の意見を言えるらしい。
「あ、あの!浅葱君の方こそ、嫌じゃないなら……私は呼んで欲しい、な」
 頬を真っ赤に染めながら、それでもちゃんとそう言った。

 えらいぞ、満月。

「……満月」
「っ……!」
 星に名前を呼ばれて、凄く嬉しそうな反応をする満月。
 幸せそうな笑顔浮かべちゃって。
 何だかこちらまで暖かい気分になるな。


 好きな相手に名前で呼ばれる事は、好きな相手を名前で呼ぶ事は、本当に特別な事なんだ。
 名前で呼ばれた分、名前で呼んだ分、相手に近付けた気がするから。

 私は、弓近が呼んでくれるこの名が好きだ。
 弓近が“琴音”と呼んでくれる、それだけでこの名は特別な意味を持つ気がする。
 “弓近”という名もそうだ。
 彼の事をそう呼ぶ時にだけ、その名は私にとってとても特別なモノになる。
 他の誰かが同じ名でも意味がない。
 私の幼馴染である彼だからこそ、私が好きになった彼だからこそ、特別な意味を持つ名。
 ……弓近にとっては、どうなんだろうか?

 だけど。
 いくら互いに名前で呼び合っても。
 特別なモノを私が感じていても。
 二人の関係はそれ以上近付かない。
 ずっと幼馴染のまま、平行線を辿る。

 それ以上は決して近づく事はない。
 一番相手を、遠く感じる状態。