弓近の祖父の家に来てから二日目。
私は今までの人生で最高に幸せだと感じていた。
それもこれも、“弓近の恋人”に気を回して下さった弓近の親戚御一同のお蔭。
それは昨晩の事。
「はい、近君と琴音ちゃんはこっちの部屋ね」
「……は?」
そう言って通されたのは、襖で二部屋に仕切れる広間のような部屋の片側。
襖を挟んで隣には弓近の両親がいるが、それでも二人きりに変わりはない。
……流石に弓近は戸惑っていたようだが。
弓近と布団を並べて眠れるなんて、凄くドキドキする。
寝言・いびき・歯軋りはしないので、その辺りは心配する必要もないし。
弓近は、隣に両親がいると分かっていて何かをしてくるような奴じゃないから、そちらも心配ないだろう。
そうしていざ電気を消して布団に入ると、途端に聴覚が冴える。
どうやら弓近はなかなか寝れないようで、何度も寝返りを打っていた。
もしかしなくても、私が隣で寝ている事を意識しているのだろうか?
全く意識されずに爆睡されたらどうしようかと思っていたので、少し嬉しい。
取り敢えず、意識のし過ぎで寝不足になられても困るので、しばらく寝たフリをして。
いつしかそのまま眠ってしまっていた。
目が覚めたのは明け方過ぎ。
いつもよりも早いが、誰かが起きてもう動いている気配を感じたから。
隣の布団をふと見れば、大好きな人の寝顔があって。
「……弓近の寝顔、初めて見た」
思わず頬が緩んだ。
生徒会の合宿などで寝起きの顔を見た事はあっても、寝顔を見るのは初めて。
そもそも、寝顔を見られる立場なんて限られている。
……ま、相手が授業中の居眠りの常習犯とかなら話は別だが。
それに、朝起きて一番初めに目にするのが大好きな人だなんて、これ以上の幸せはないだろう。
そのまま暫く眺めていると、次第に他の人も起きだしたのか、部屋の外が少しずつ騒がしくなってきた。
田舎の朝はとかく早いらしい。
特に農業を営んでいる家なのだから、朝が早いのは当たり前なのかもしれないが。
その騒がしさに、弓近もようやく目を覚ました。
「ん……うるせー……」
そう言いながら起き上がり、頭を掻いてあくびをすると、背を丸めたまま項垂れる。
その間、目は殆ど開いていない状態だ。
「んー……」
暫くの間、その状態のまま唸りながら、時々あくびを何度かして。
それから背筋を伸ばすように腕を上げて、一気に脱力して一息吐くと、ようやく周囲を見渡した。
そうして私と目が合うと、目を瞠った。
「おはよう、弓近」
そう声を掛けると、弓近は一気に動揺する。
「え、あ、こ、琴音っ!……おはよう。今のずっと見てたのか……?」
「見てた。お前、寝起きはそんなによくないんだな」
「……琴音は寝起きいいみたいだな……」
「そうだな、割とパッと目が覚める方だな」
「……俺はまだ眠い……」
そう言って弓近は再びあくびをする。
もしかして、私の事を意識し過ぎて、殆ど寝れていないのか……?
まさかと思いつつ、口に出すのは止めた。
「さて、私は支度して台所の手伝いに行くかな。弓近、二度寝するんじゃないぞ?」
「おー……」
ずっと傍にいたいが、そうも言っていられないだろう。
いつまでも起きてこなかったら、誰かが見に来るだろうし。
そうして午前中は家事を色々と手伝いながら、小さい子達の夏休みの宿題を見てあげて。
弓近は畑の仕事を少し手伝わされていたが、お昼からは私と一緒に近所の散策に出掛ける事になった。
流石にこの辺りに不慣れな私が一人で面倒を見る訳にもいかないからな。
「琴音ちゃん、こっちこっち!」
「えっとねー、川で遊べるんだよー?」
「気持ちいいよっ」
三人にすっかり懐かれたのか、競うように色々と説明されて。
年の離れた弟、という感じだ。
一人っ子の私は兄弟というものに憧れていた為、少し楽しい。
「分かったから、そんなに引っ張らないでよ〜。急がなくても川は逃げないよ?」
少し離れた後ろから弓近も付いてきてくれているし。
私は自然と笑顔になった。
夕方になって日が傾き、ようやく涼しくなって来た所で、おば様達に呼ばれる。
「琴音ちゃん、ちょっとこっちに来て」
「はい」
奥の部屋に行くと、何か用意がしてあって。
「……これは、浴衣ですか?」
「そう!折角だから、琴音ちゃんに着て貰おうと思って」
「私のだから、ちょっと地味かもしれないけど」
そう言って見せてもらったのは、濃紺の布地に白で笹が描かれているもので。
とてもシンプルなデザインだ。
「そんな事ないですよ。落ち着いていて、いいデザインだと思います」
「あら、そう?じゃ、早速着てみて。近君と一緒にお祭りに行くんでしょう?」
「はい。ありがとうございます」
そうして浴衣を着付けて貰って。
終わった所で、伯母様が弓近を呼んできた。
「じゃーん!どうよ〜。可愛いでしょ?」
だが弓近は呆けたような表情で、何も言わず。
その事にじれったそうに伯母様が言う。
「もう、近君!彼女がこんなにおめかししてるんだから、感想とか言わないと!そんな甲斐性無しじゃ、すぐに嫌われちゃうわよ?」
「うっ……そ、その……」
何か言って欲しかったが、困ったような表情の弓近に、私は彼の手を引いて歩き出す。
「弓近。お祭り始まってるんでしょ?早く行こ!」
「お、おう……」
「それじゃあ、行ってきます。浴衣、貸して頂いてありがとうございました」
「あら、いいのよ〜」
「行ってらっしゃい」
「近君、ちゃんとエスコートしてあげるのよ?」
伯母様達に見送られ、私と弓近はお祭りが行われている神社へと足を向けた。
その途中。
「……琴音」
「ん、何だ?」
「その……浴衣、スゲー似合ってる」
そっぽを向きながらそう言った弓近は、何だか照れ臭そうで。
「……そうか。ふふっ……ありがとう」
その事に、何だか凄く嬉しくなった。
すると弓近は、離したくなくて繋いだままの手を、少しだけ強く握ってきて。
……凄く幸せな気分になった。