弓近が立ち止まったのは、近くに河原と田んぼがあるだけの、何の変哲もない場所だった。
「ここ……?何もないみたいだが……」
「よく見てみろって。茂みの辺りとか」
「……?」
弓近にそう言われ、私は少しだけ体を乗り出す。
そうして目を凝らして暗がりをよく見てみると。
「あ……もしかして、アレか……?」
何かが辺りを浮遊しているのが分かった。
それは、暗闇に浮かぶ蛍の淡い光。
「この時期になると毎年、この辺りで見られるんだ」
「そうか……蛍を見たのは初めてだ。綺麗だな……」
自然の残る土地でないと見られない光景。
その幻想的な光景に、目を奪われた。
「弓近……ありがとう」
「おう」
忘れられない夏の思い出が、また一つ増えた。
そうして暫く、二人で蛍達が織り成す光の軌跡を眺めて。
弓近の祖父の家へと戻った。
家の前まで来た所で、私は弓近に下ろすように言う。
「流石におんぶのまま家に上がれば、余計な心配を掛けるだろう」
「そうだな」
その日の夜。
「弓近……もう寝たのか?」
前日の寝不足や昼間の疲れもあってか、弓近は布団に入るとすぐにぐっすりと寝入ってしまった。
「……明日は、もう帰る日か……」
明日の昼には、もうここを出て。
そうしたらこの恋人ごっこは終わりだ。
「……帰りたく、ないな……」
家に戻れば、また煩わしいパーティーなどの日々が待っている。
この夢のような現実は今後、もうやってこないだろう。
私に許された、最後の自由な時。
そんな気がしてならない。
「弓近……」
せめて、最後に。
恋人として……。
眠る弓近の唇にそっと唇を寄せる。
だが。
「……寝込みを襲うのは、卑怯者のする事だよな……」
あと少しで触れる、という所で思い直し、代わりにその頬にそっと口付ける。
そうして、耳元にそっと囁いた。
「――好きだ、弓近。お前だけを、ずっと……」
そうして次の日の昼過ぎ、家に帰る時。
「三日間、お世話になりました」
そう言って私は、見送りをして下さる方々に頭を下げる。
「あらあら、ご丁寧にどうも。琴音ちゃんもまた近君と一緒に来て頂戴ね?」
「はい。機会があれば、また」
「なんなら琴音ちゃんだけで遊びに来てもいいからね〜」
「ありがとうございます」
「近〜。嫌われないようにしろよ〜」
「はいはい」
「そうそう。愛想つかされるとしたら、どう考えても近の方だよな」
「うるせー」
「こんなんだけど、見放さないでやってね?」
「いい加減にしろっ」
暖かく見送って下さる、弓近の親戚の方々。
本当に、再びここに来たいと、心から願う。
「はい」
笑顔で返事をしながら、私は泣きたくなった。
弓近と一緒に、また来たい。
今度はちゃんと、恋人として。
……だけどそれは叶わない。
私の願いと現実は、決して相容れない。
そう分かっていて、了承の返事をした私は、彼らを騙している事になるのだろうか?
そうして弓近の家に着くと、レトの散歩がてら、弓近が家まで送ってくれる事になった。
「……いい人達だったな」
「俺の親戚?……騒がしかっただろ」
「いいや、楽しかった」
「そっか」
そうして暫し、無言が続く。
「また……機会があったら、一緒に行きたいな……」
思わずそう呟いた私の言葉は、弓近には聞こえていなかったようだ。
「ん?何?」
「……何でもない。そうだ、夏休みの課題は進んでるか?」
わざと話題を変えると、弓近はそれ以上追求してこなかった。
「当たり前じゃん」
なぁ、弓近。
私はどうすればいい?
どうすれば私は……この想いを消してしまえる?