その週末の日曜日。
 いつも忙しい父が、珍しく休みなのか家にいた。

「今日はお休みなのですか?」
 そう尋ねると、父は首を横に振った。
「いや、午前中だけだよ。午後から出なければならない」
「そうですか……あまり無理をなさらないで下さいね」
「ああ。……琴音は母さんに似てきたな」
「そうですか?」
「同じ事を言うようになった」
 苦笑しながらそう言う父に、きっと先程そう言われたばかりなのだろうと簡単に想像が付いた。
「お母様も私も、忙しいお父様の身を案じていますから」
「二人に心配してもらえて嬉しい限りだよ。……ところで琴音。少しばかり話があるんだがいいかい?」
「ええ」
「では私の書斎に行こう」
 わざわざ移動するなんて、一体何の話だろうかと首を傾げつつも、父の後に付いて行く。


 書斎に入ると父はデスクの方ではなく対面式のソファーに腰掛けた。
 珍しいなと思いつつも、いつも書斎で話をする時の父は仕事の合間だったりするから、そうでもないかと思い直す。
 そうして向かい側に腰掛けると、私の方から口を開いた。
「それで、話とは何でしょうか?」
「……文化祭は楽しかったかい?」
「え?ええ、忙しくはありましたが、とても」
「そうか。……今回の生徒会はよく機能しているね」
「ありがとうございます」
 思いがけず生徒会のメンバーが褒められて、嬉しくなる。
 だが。

「弓近君が副会長だったね」

「っ……はい。彼は、二年次からずっと私のサポートをしてくれています」
 弓近の名を出されて、私は内心動揺する。
 ここ数日、いつもと変わらない態度を取る弓近に、私の心は壊れてしまいそうだった。

 最初から諦めていたハズなのに。
 ただの幼馴染でいいからと、そう望んだのは私なのに。
 実際にその通りだとはっきり分かって、打ちのめされた気分だ。
 きっと弓近は、これから先もずっと変わらず、私の傍にいてくれる。
 私が弓近ではない、別の人と結ばれても、幼馴染として祝福してくれる。
 そうして。
 弓近は私ではない、別の人と結ばれて幸せになる。
 それが私にとって、どんなに絶望的な事なのか。
 たった数日前まで、私はきちんと想像できていなかったのだと、改めて思い知った。

「弓近君は実直で好感の持てる人物だね」
「……?」
 突然そう言い出した父に、私の頭は混乱する。

 父が弓近の事を知らないハズはない。
 なにせ私の幼馴染で、ご近所さんだ。
 弓近がこの家に遊びに来た時に、何度か顔を合わせてもいる。
 それなのに今更、褒めるような事を言うなんて。

「弓近が……どうかしましたか?」
「いやね、この間の文化祭の休み明け、私の所に来たんだよ」
「お父様の所に……?」

 休み明けなら、文化祭の事後処理をする為に父は理事長室にいた訳だから、行ったのは多分その時だろう。
 だが生徒会としての仕事で理事長にわざわざ報告するような事柄もなかったハズだ。
 そこまで考えて、ふと思い出す。
 その日の朝、弓近がわざわざ父の事を話題に出していた事。
 そうして、昼休みに用事があると……。
 だが昼休みの用事は、確か提出物忘れのプリントを出しに行っていたハズで。
 しかしその時以外に、弓近が理事長室に行く時間はなかった。
 つまり、弓近はわざわざ私に嘘を吐いてまで、父に会いに行っていたという事だ。
 一体、何の為に……?

「弓近は、一体何の用事だったのですか……?」
 訳が分からずにそう聞くと、父は実に楽しそうな顔をして言った。

「彼はね、自分を琴音の婚約者候補にしてくれと、そう直談判してきたんだよ」

 ……一瞬、父の言った言葉の意味が分からなかった。
 弓近が、何を直談判した……?

「彼はね、チャンスを下さいと言ったんだ。自分は月羽矢という家に相応しくないかもしれない。けれど誰よりも琴音を想ってきた、その想いだけは誰にも負けない。 自分が月羽矢を背負って立つのに不満があるなら、サポート役でも構わない。ただ一緒にいたい、琴音の隣に立つのは自分でありたい、とね」
「……弓近、が……」

 信じられなかった。
 そんな、夢みたいな話。
 弓近が、私を……。
 ……私は、早々に諦めてしまったのに。

「お、父様は……なんと……?」
「条件を出した。必ず今年、第一志望大学の学部に合格して、きちんと卒業をする事。あと、大学在学中に留学してMBAの取得もできると文句なしだとね」
「……!」
 そんな条件、弓近なら簡単にクリアできる。
「琴音」
「は、い……」

「お前が家の為にと色々考えてくれているのは知っている。だけどね、少しくらい我儘を通してもいいんだよ」

 そう言った父の瞳は、とても慈愛に満ちていて。
「はい……っ」
 私は涙を流しながら、満面の笑みを浮かべた。