父の書斎を出た私は、すぐに弓近の家へと向かう。
どうしようもないくらいに、弓近と逢って話をしたかったから。
弓近の家に着くと、おば様が出迎えて下さった。
「あら、琴音ちゃん。いらっしゃい」
「こんにちはっ、あのっ!弓近はいますかっ?」
急くようにそう聞くと、おば様は少し驚いたような顔をした。
「弓近に会いに来たの?部屋にいるわよ」
「ありがとうございますっ。お邪魔しますっ」
部屋にいると分かって、お礼を言いつつ上がらせてもらう。
弓近の部屋は二階。
階段を上っている途中で、後ろから声を掛けられた。
「後で一緒にお茶しましょうね〜」
「はいっ」
顔だけ振り返って、笑顔で返事をする。
「弓近っ!」
階段を上がってきた勢いそのままで、ノックもせずに部屋のドアを開ける。
するとすぐに、弓近の姿が目に入って。
その瞬間、意味もなく泣きたくなった。
同時に、何だか無性に腹が立って。
「お前、一体何のつもりだ!?」
気付けばそう怒鳴っていた。
怒鳴るつもりなんて、なかったハズなのに。
だが弓近は、惚けたように言った。
「……何が?」
それがなんだか、物凄くムカついた。
「っ惚けるな!……父から聞いた。お前、私の婚約者候補に加えてくれと、直談判したそうだな」
「……ああ」
弓近が私の事を好きで。
当の昔に諦めていた私と違って、最後まで諦めなかったのは嬉しい。
だけど。
知らない間に父に直談判なんかして。
弓近は条件付でOKを貰えたからいいかもしれないが、その数日間、私は絶望の淵をさ迷っていたんだぞ!?
それが弓近の気持ちを知って、飛び上がりそうになる程喜んだのも確かだ。
だがな。
……そもそも何で肝心の弓近の気持ちとか本心とかの言葉を、他人から聞かされなくてはならないんだ!?
「この馬鹿者が……っ!」
そう言って私は、弓近に抱き付いた。
「っ!?」
「順序が違うだろう!何故私に先に言わなかった?私はお前の気持ちを、お前の口から聞きたかった……っ」
「琴音……?」
他人を介しての言葉なんて、意味がない。
本人の口からじゃないと意味がない。
そう思っていると、背中にそっと手が回された。
そうして耳元に弓近の吐息がかかる。
それだけで体中がぞくぞくするのを感じるのに。
「……好きだ、琴音。昔からずっと、お前だけを見ていた」
囁くようにそう言われ、まるで体中に電流が走ったかのように感じて。
弓近の服を掴んでいる手に、自然と力が入った。
凄く、嬉しかった。
同時に、とても申し訳なくも感じる。
私は自分の事しか考えていなかった。
その事できっと、知らない間に随分と弓近を傷付けていたと思う。
そんな風に考えていたら、涙が零れた。
「琴音?俺はちゃんと言ったんだから、琴音の気持ちもちゃんと聞きたい」
そう言って弓近が、少しだけ体を離して顔を覗き込んでくる。
「ずっと……諦めなければならないと考えていた。それでも私は、諦めが悪く……ずっとお前を、私のエゴで縛り付けているんだと思っていた……」
言葉を綴る程に、罪悪感のようなものが湧き出てきて。
私は……弓近という人物に思い違いをしていた。
弓近はお人好しなんかじゃなく。
本当に私の傍にいたいから、いてくれてて。
なのに、私はそれに気付きもしないで……。
「俺は……俺こそ、幼馴染の立場を利用してたんだ。誰よりも、琴音の傍にいられるから」
「一番近くにいたのに……すれ違っていたんだな、私達は」
「そうみたいだな」
「だが、こうして……ちゃんと気持ちを知る事ができた。ありがとう、弓近。私を、諦めないでくれて」
お互いに相手を想っていたのに、言葉にしなかったばっかりに、危うく永遠に相手を失う所だった。
「私も、お前が大好きだ」
そう言って、私は自然に満面の笑みになる。
だが。
「弓近。お前、もし大学に落ちたりしたら許さないからな?絶対に合格しろ」
私は一転、厳しい表情でそう言う。
当然だろう。誰よりも私が弓近に傍にいて欲しいんだから。
なのに。
「模試もずっとA判定だし、大丈夫だと思うぞ?」
弓近は気楽にそう言って。
「受験は何が起こるか分からないんだぞ!?もっと気を引き締めろ!」
「分かってるって」
本当に分かっているんだろうか?
大学よりもずっと先の未来が懸かっている事を。
ニヤついている弓近の顔を見て、少しばかり意地悪をしたくなった。
「……いいか、弓近。大学に受かるまでは、私達はただの幼馴染だからな?」
「え」
「当然だろう。私はあの宣言を撤回するつもりはないし、“親の決めた婚約者”ならともかく、お前はその第一の条件すらまだ満たしていないんだからな」
「……はい」
灸を据える意味でも、これくらいしたっていいだろう?
婚約者候補の直談判の件、OK貰えたのに数日間黙ってたんだから。