「……私はね、弓近君」
徐に口を開いた理事長に、俺はそちらに意識を向ける。
「琴音には自分の好きな人と結婚して、幸せになってもらいたいと、常々思っているんだよ」
「え……」
「でもね。君には知る由もない事だろうけれど、企業同士の繋がりや、家同士の繋がりを重視するような輩は、社交界と呼ばれる世界には多く存在するんだよ」
それは俺にも理解できる。
今の世の中、政略結婚なんて馬鹿馬鹿しいとは思うが、それでも実際にそういう事があるからこそ、琴音は受け入れているんだろう。
「……あまり関わらせないようにしてきたつもりなんだが、それでも断りきれないパーティーなどはあってね。結局そういう世界を見てきた琴音は、それを当たり前の事と
して捉えるようになってしまった」
「それって……」
「私は琴音の将来について、あの子を束縛するような発言をした憶えはないよ?」
理事長のその発言に、俺は目を瞠る。
じゃあ何で琴音は、あんな事を?
「あの子はとても優しくて、責任感の強い子だからね。月羽矢グループ総帥の一人娘という立場をとてもよく理解した上で、自らを犠牲にしようとしている」
「犠牲?」
「それなりの家柄と才能を持つ相手でないと、周りを納得させられない。そうでなければ、下手をすれば月羽矢グループに携わる人々を路頭に迷わせる結果にも
なりかねない、とね」
溜息混じりに言われた言葉に、俺は眉根を寄せる。
いかにも琴音の考えそうな事だ。
全てを一人で背負い込んで、解決しようとしてしまう。
まるで、あの時の――イジメに遭っていた時のように。
「琴音が男の子なら、そこまで立場や家柄を重視する事はなかったんだろうが、残念ながらあの子は女の子だ。そうして、まだまだ女性には酷な世界だったりするんだよ」
「……大企業のトップが女ではナメられる、ですか」
「そういう事だよ」
理事長の話を聞いて、俺は打ちのめされた気分だった。
ずっと傍で守ってきたと思ったのに、実は全くと言っていい程、琴音の事を守れていなかったんだ、俺は。
俺が自己嫌悪に陥っていると、理事長が再び口を開いた。
「さて、本題に戻ろうか。ちなみに弓近君、君の希望進路はどうだったかな?」
「え……?あの、琴音と同じですけど……それが何か?」
急な質問に、俺は戸惑いながらも答える。
一体?
「君に条件を出そう。必ず今年合格して、きちんと卒業をする事。大学在学中に留学してMBAでも取得してもらえれば、文句の付け所はないんだがね」
「それって……」
その条件さえクリアすれば、俺を琴音の婚約者候補に、加えてくれるって事、か……?
マジで!?
「日本はまだまだ学歴社会だからね。家柄なんてなくても、学歴でカバーできるさ」
ニッコリと笑った理事長の笑みは、とても好意的で。
「それにね。本当は家柄と学歴とか……そんなものはどうでもいいんだよ。大切なのは、どれだけ相手を想っているか。それだけで十分なんだ」
「理事長……」
「残念ながら、その想いだけでは上手く行かないのが、世の中なんだけれどね」
「……はい」
そう。
想うだけではどうにもならない事は、この世の中には沢山ある。
それでも、強い想いが力になる事もあるから。
「一つ、いい事を教えてあげよう。琴音はね、君といる時が一番楽しそうなんだよ。だから私も、君が琴音の傍にいてくれたらいいなと思っているんだ。だから……」
期待しているよ?
理事長に言われて、俺は勢いよく返事をする。
「……はいっ!」
「君の婚約者候補の話は、私から琴音に伝えておくよ。それでいいね?」
「よろしくお願いします」
俺は理事長に深々と頭を下げる。
「あ、そうそう。あくまで君の希望通り、チャンスをあげるだけだからね。琴音の本心は、君が自分で聞き出しなさい。いいね?」
「分かっています。ありがとうございました。では……お忙しい所、お手間を取らせて申し訳ございませんでした。失礼します」
そうして俺は、理事長室を後にした。
例え、これで琴音に断られたとしても。
きっと何もしないよりは後悔しないだろう。
それに。
絶対に本心を聞き出してやる。
あの宣言もきっと、根底にあるのはこの婚約者がどうのって話に関係してるんだろうしな。