それは俺が理事長に直談判しに行った、次の休みの日だった。
「弓近っ!」
ノックもなしに部屋のドアが開いたかと思うと、琴音がそう怒鳴り込んできた。
今にも泣き出しそうな、だが厳しい表情で。
「お前、一体何のつもりだ!?」
……来たか。
琴音の言葉に大方の予想は付く。十中八九、婚約者候補の話だろう。
だが俺は、敢えて気付かない振りをした。
「……何が?」
少しでも結果を先延ばしにしたい。
そんな事を思って。
しかしその反応が更に琴音の怒りを買ったらしい。
先程よりも一層眉を寄せた彼女に怒鳴られた。
「っ惚けるな!……父から聞いた。お前、私の婚約者候補に加えてくれと、直談判したそうだな」
どうやら理事長は、ありのままを琴音に伝えたらしい。
さて。
罵られるか、拒まれるか。
「……ああ」
覚悟を決めて固い表情で返事した、次の瞬間。
「この馬鹿者が……っ!」
そう言って琴音は、俺に抱き付いてきた。
「っ!?」
何が起こったのか、一瞬で俺はパニックに陥る。
何だ?今、何が起こっている?
琴音はどうして、俺に抱き付いて……?
そんな状態の俺の耳に、琴音の言葉が聞こえてくる。
その声は、苦しそうな涙声で。
「順序が違うだろう!何故私に先に言わなかった?私はお前の気持ちを、お前の口から聞きたかった……っ」
「琴音……?」
それは、もしかしなくても。
琴音も俺と同じ気持ちだって、考えていいのか……?
俺は琴音の背にそっと手を回すと、琴音の耳元に口を寄せる。
そうしてバクバクする心臓を宥めつつ、深く息を吸った。
ずっと言えなかった想いを。
ずっと伝えたかった想いを、言葉に乗せる為に。
「……好きだ、琴音。昔からずっと、お前だけを見ていた」
囁くようにそう言うと、俺の服を掴んでいる琴音の手に、ギュッと力が入ったのが分かった。
「琴音?俺はちゃんと言ったんだから、琴音の気持ちもちゃんと聞きたい」
俺は少しだけ体を離すと、琴音の顔を覗き込んだ。
しかしその表情はどこか沈んでいて。
頬には、一筋の涙が流れていた。
「ずっと……諦めなければならないと考えていた。それでも私は、諦めが悪く……ずっとお前を、私のエゴで縛り付けているんだと思っていた……」
申し訳なさそうにそう言う琴音。
そんな顔、しなくてもいいのに。
「俺は……俺こそ、幼馴染の立場を利用してたんだ。誰よりも、琴音の傍にいられるから」
「一番近くにいたのに……すれ違っていたんだな、私達は」
「そうみたいだな」
「だが、こうして……ちゃんと気持ちを知る事ができた。ありがとう、弓近。私を、諦めないでくれて」
お互いに相手を想っていたのに、言葉にしなかったばっかりに、危うく永遠に相手を失う所だったんだな、俺達。
「私も、お前が大好きだ」
そう言って、満面の笑みを浮べる琴音。
それは、俺が今まで見てきた、どんな笑顔よりも輝いて見えて。
だが。
「弓近。お前、もし大学に落ちたりしたら許さないからな?絶対に合格しろ」
琴音は一転、厳しい表情でそう言ってきた。
そうだよな。
琴音の婚約者になる条件の一つが今年大学に受かる事、だもんな。
しかも第一志望に。
まぁ、でも。
「模試もずっとA判定だし、大丈夫だと思うぞ?」
気楽にそう言ったら怒られた。
「受験は何が起こるか分からないんだぞ!?もっと気を引き締めろ!」
「分かってるって」
それでも俺にとっては、琴音にOKを貰う事の方がよっぽど難関だったんだけどな。
でも良かった。
嬉しい。
ずっと、同じ気持ちだったんだな。
そんな風に思って、顔がニヤついていたんだろう。
琴音がとんでもない発言をした。
「……いいか、弓近。大学に受かるまでは、私達はただの幼馴染だからな?」
「え」
「当然だろう。私はあの宣言を撤回するつもりはないし、“親の決めた婚約者”ならともかく、お前はその第一の条件すらまだ満たしていないんだからな」
「……はい」
どうやらまだ暫くは、おあずけ状態が続くみたいだな……はぁ。