それは、ある放課後の生徒会室。
 室内にいるのは俺と琴音の二人だけで。
 無防備にも琴音は、机に突っ伏して寝ていた。

 一人黙々と作業していた俺はキリのいい所で、ん〜っ、と腕を上に挙げ背筋を伸ばす。
 琴音はと見ると、まだスヤスヤと寝息を立てていて。
 俺はそっと傍に近付いた。
「よく寝てんな……てか、無防備すぎだろ。もしかして俺、男としてすら見てもらえてないのか……?」
 その事実に幾分か凹んだが、そこはそれ。気を取り直して彼女の寝顔を見つめる。

 さらさらと触り心地の良さそうな髪は窓からの風に揺れ。
 普段、意志の強そうな光を宿している瞳は、今は閉じられている。
 すべすべと滑らかそうな肌触りだろう頬は白くて。
 特に何かを塗っている訳でもない唇は、それでも赤く色付いている。
 その柔らかい、弾力のありそうな唇に触れたら、どんな味がするのだろうか?

 一度そう思ってしまえば、視線はそこから離れる事はなくて。
 思わずゴクリと唾を飲み込む。

 触れてみたい。
 指じゃなくて、勿論自分の唇で。

 今なら、キスする事も出来るんじゃないか?

 そんな考えが頭を過ぎり、俺は思わず首を振る。
「ダメだろ、それは」
 わざと口に出して否定してみても、甘い誘惑が消え去る事はなくて。

 彼女が起きなければバレない、とか。
 男と二人きりだと言うのに、無防備に寝ている彼女が悪い、とか。
 そんな言葉が頭の中をぐるぐると回って。
 だけど同時に。
 バレたら嫌われる、とか。
 傍にいられなくなる、とか。
 そんな風にも考えて。

 そんな時。
「ん……ゆみ、ちか……」
「っ!」
 寝言で名前を呼ばれた。
 それを聞いた途端、頭の中でぐるぐると回っていた言葉がパッと消えて。
 同時にどこかで何かの糸が切れた気もした。

「琴音……」
 ドキドキとしながら、ゆっくりと顔を近付けて。
 そっと唇で触れたのは、柔らかい――頬。

 ……って何やってんだ、俺の意気地なし!
 ここはどう考えたって唇にするべきだったろうが!

 あぁぁぁぁ、と頭を抱えて悶えていると、間の悪い事に琴音が目を覚ました。
 しかも。
「……弓近……?今、キスした……?」

 バレてんじゃんかよ!

「ああああのな?いいい今のは……」
 どう言い訳しようかとしどろもどろになっていると、琴音が爆弾発言をした。
「……どうせなら、唇の方がよかったな……」
 そう言う琴音は、恥ずかしそうに頬を染めていて。
 チラッと上目遣いで見上げてきた。

 マジですか!?
 てか、すげー可愛いんですけど!

 そんな風に思っていると、何と琴音に押し倒された。
「ここここ琴音っ!?」
 慌てる俺に、琴音は自分の体重をかけてきて。

 何だ、この積極的な琴音の態度は!?
 もしかして、琴音も俺の事を……?

 だが。
「わん」
 目の前の琴音は、いきなりそう言った。

 ……わん?

「……夢?」
 目を開けるとそこにいたのは琴音ではなく。
 我が家の愛犬、ゴールデンレトリバーのレトで。
「わんっ」
「……レト、重いからどけ」
 寝ている俺の上に、乗っかっていた。

 てか、マジで今の全部夢かよっ!?
 くそう。
 夢だって最初から分かってたら、躊躇わず、迷わずに琴音の唇にキスしたってのに!

「……はぁ……もう一度同じ夢、見れねぇかなぁ……?」
 悔しがってももう遅いのは分かってるんだけどな。

 そうしてカレンダーの日付を見ると。
「……今日から新生徒会発足か……」
 新しいメンバーでの生徒会が、本格的に始動する日だった。
「だから生徒会室でってシチュエーションだったのか……?」
 そう呟いて俺は、朝だというのに深く深く溜息を吐いた。

 ……はぁ。