しかし、その日は違った。
「甲斐は、さ……今付き合ってるヤツとか、いるの?」
「……はい?」
突然何を言い出すのだろう、この人は。
思わずいつもより早く返事を返してしまった。
「……何でですか?」
怪訝に思ってそう聞くと、実にあっさりとした答えが返ってくる。
「いや、別に。バイト結構入ってるから、いたら相手は可哀相だと思って」
「……いませんよ、そんな人」
てか余計なお世話。
だが、次に葵の口から発せられた言葉に、遊菜は自分の耳を疑う。
「そっか……甲斐は可愛いから、いるのかと思った」
え。
今、何て言った、この人。
か、可愛いとか言った?
私の事……?
え?
それに、何か。
微笑んでる……?
何が何だか分からない状態の頭で遊菜が出した結論。
あぁ、そうか。
からかってるんだ。
――本当はその微笑みは、凄く優しいもので。
嘲笑にも、意地の悪いものにも見えなかったけれど。
何故だか遊菜はそれを認めたくなくて。
そう思う事にした。
それから数日後。
遊菜はまた葵の笑顔を見る事になった。
「あちゃー、雨だ。……どうしよ、傘無いし……」
いつものようにバイトを終え、帰ろうとした矢先の突然のスコール。
当然傘など持って来ていないし、置き傘もしていない。
仕方ない。親に迎えに来てもらうか。
そう考えて、携帯を取り出した時だった。
プップー。
クラクションの音に顔を上げると、一台の車が止まっていた。
呆然と見ていると、助手席の窓が開く。
そうして、奥から顔を出したのは。
「甲斐、乗れ。送ってやる」
「先輩……」
そう、葵貴寿、その人だった。
どうしよう。
乗るべきか乗らざるべきか。
遊菜は一瞬躊躇う。
「甲斐」
「……はい」
だが、葵に有無を言わせないような強い口調で名前を呼ばれ、遊菜は結局、渋々車内へと乗り込む。
「……よろしくお願いします」
「ああ。……二丁目の方だっけ」
「はい」
返事をしたところで、遊菜は初めて葵の私服を見た。
上は濃灰色のライトフリースのタートルネックに、デニム生地の黒のジャケット。それにジーンズという出で立ちで。
そういうシンプルな物程、着こなすのは案外難しいものだが、とてもよく似合っていた。
車内にかかっていたのは、遊菜のお気に入りのアーティストの新曲。
「……」
意外だった。
「どうかしたか?」
「いえ……先輩、このアーティスト、好きなんですか?」
「ん、まぁわりかし。甲斐も好きなのか?」
「えぇ、まぁ」
「そっか」
何だか、思っていたイメージと違う気がする。
先輩は、どちらかというとクラシックとか聞いてそうな感じ。
だが、それっきり会話は途切れ、車内には沈黙が流れる。
遊菜は何とはなしに俯いていたし、葵は運転の為に前を向いていたから。