暫くして、不意に葵が口を開いた。
「なぁ甲斐。……俺だから言うんだけど」
「……何ですか?」
「いくら知り合いでも、男の車に簡単に乗るのは止めた方がいい」
今度は何を言い出したのだろうか。
乗れと言ってきたのはそっちの方なのに。
葵の意図が掴めず、遊菜は首を傾げる。
「何処に連れ込まれるか、分かったもんじゃないから」
「……!」
その言葉にギョッとして、遊菜は窓の外を見る。
だが、そこは見慣れた近所の道で。
「……俺だから、って言ったろ。そんなに信用ないか?」
不機嫌そうな葵の声に、遊菜は思わず謝る。
「あ、いえ、その……すみません」
しかし、葵は苦笑して。
「悪かったな、不安にさせて」
そう言って、頭をくしゃっと撫でてくれた。
「甲斐は謝らなくていいよ」
その時の葵の表情は、遊菜の見間違いなんかじゃなく。
本当に笑顔で。
遊菜は驚いた。
笑ってる。
あの先輩が。
葵の笑顔を見るのはこれで三度目。
今度のは確実に、目の錯覚でも、からかっている風でもない。
普段の不機嫌そうな顔とは違うこの表情を、一体何人の人が見た事があるのだろうか?
そう思う位珍しくて。
同時に、思わずその表情に見入ってしまっていた。
遊菜の視線に気付いて、葵は照れ臭そうに言う。
「どうした?俺の顔に何か付いてる?」
そう言われて、遊菜は初めて自分が葵に見入ってしまっていた事に気付き、慌てて俯く。
「……何でもないデス」
追求されたら何て言えばいいんだろう。
笑顔が珍しくて見てました、とか?
いや、失礼だし。
というより、そんな事言ったら確実に怒られる。
そう思ってチラッと葵の方を伺い見る。
けれど葵は、それ以上何も言ってこなかった。
「着いたよ」
車が止まって、葵の声に外を見るとそこはもう家の前。
「あ、ありがとうございました」
雨はもう殆ど降っていなくて、お礼を言って車を降りる。
葵は窓を開けて顔を出すと、遊菜に声を掛ける。
「甲斐、またバイトで」
「あ、はい。お休みなさい」
だが、葵は暫く遊菜を見つめたままで。
「……甲斐」
「はい」
何だろうと思って遊菜は首を傾げる。
っていうか何か見つめられて恥ずかしいかも……。
「……何でもない。風邪、引くなよ」
そうして走り去る葵の車を見て、遊菜はふとある事を思った。
「……何で先輩、私の家知ってるんだろう」
今まで緊張してて気付かなかった。
車に乗り込んだ時も二丁目の方って知ってたし、道案内も何もしていない。
なのに葵はちゃんと家の前まで来て。
「……ストーカーとか?いや、でもなぁ……近所って可能性も……」
だっていつも後付けられてるとか、無言電話とか、そういうのないし。
でも近所に葵っていう苗字の家、あったっけ?
「それとも、バイト中に話した事あったっけ?」
正直、今まで葵とは適当に話していたから良く覚えていない。
殆ど相槌しか打ってないハズなんだけどなー。
考えても答えは出なくて。
疑問が残ってしまった。
葵は車を走らせながら、先程まで遊菜が座っていた助手席をチラッと見る。
「俺の笑顔見て、本当に驚いてたよなぁ……」
その時の遊菜の表情を思い出して、葵はくくっと笑う。
「ま、あの時はさすがに顔緩んだし……」
やっぱり彼女は可愛い。
さっきまで隣に居たんだよな。
何だか夢みたいだ。
「……でも、流石に見つめられるのは恥ずかしいし、緊張したなぁ……」
一人でそう呟いて、苦笑して。
「……お休み、遊菜」
今はもう隣にいない遊菜を想って呟くと、葵は車のスピードを上げた。