「では何故?」
 問い詰めるのではなく、あくまで優しくそう聞いてくる虎太郎に、初音は泣きそうになった。

 ああ、本当に。
 この人はどこまで優しい人なんだろう。
 それなのに私はどうして……。

「……怖かったんです」
「怖い?」
「……私が向日の者だと知った時に、もし貴方が変わってしまったらと思うと、たまらなく怖かった……!」
 そうして初音は両手で顔を覆い、泣き出してしまう。
「皆……私が向日の者だと知ると、途端に変わってしまって、何度も何度も裏切られた……だから、貴方にもそうなって欲しくなくて、だから私……」
「初音さん……」
「ごめんなさい、虎太郎さん」
「……もう、泣かないで下さい」
 そっと手を取られ、虎太郎の指に涙を拭われる。
「貴女の笑った顔が見たいです。ね?」
「虎太郎さん……」
 今までと全く変わらない虎太郎の微笑みに、初音は心が和らぐのを感じた。

 きっと。
 この人なら信じられる。

「改めて、またこれからも俺と逢っていただけますか?向日初音さん」
「……はいっ」
 初音は嬉しくて幸せな気分で。
 もっとこの人と一緒にいたいと思った。


 だが、夏になって大学が休みに入る頃、虎太郎は向日の会社の下請け業をしている小さな会社に内定が決まり、本格的に卒業論文に集中するようになった。
 そうなると、ただでさえなかなか逢えなかったのに、前よりも更に逢う時間が減り、初音は切なくて寂しかった。

 そんなある日の夕食の席。
「初音さん。短大を出たら花嫁修業をしなければなりませんからね。外に出る機会も少なくなるのだし、今から少し自粛しておきなさい」
「……はい、お母様……」
 母親から聞かされた話に、初音は改めて現実を目の前に突き付けられた気がした。

 花嫁修業。
 それは嫌が応にも、和幸との結婚を意味していた。
 だがそれより何より、虎太郎に逢えなくなるという事が重要だった。

 ただでさえ前より逢えなくて苦しいのに、全く逢えなくなるとすると、自分はどうなってしまうのだろうか?
 まるで、奈落の底に突き落とされた気分だ。

 その夜初音は、声を殺して泣いた。