そうして休みが明けた、ある日の帰り道。
「水希ちゃん。一緒に帰ろ♪」
「あ……あのっ」
「ん、何?ようやく俺とおしゃべりしたくなった?」
 ニヤついた笑みと共にそう言われ、やはり水希は萎縮して俯きかけてしまう。
 それでも、言わなくてはいけない。
 そう思って水希は、工の笑顔を思い浮かべる。

 工さん。私にほんの少しの勇気を下さい……。

 そうして深呼吸をすると、水希は思い切って口を開いた。
「あの……迷惑、なんです。もう……やめてもらえませんか……っ」
 たったそれだけ言っただけなのに、水希は何だかとても疲れてしまった気がした。

 だが、これでもう大丈夫。
 そう思った矢先。

「やめないよ、俺」

「え……?」
 彰正の言葉に、水希は体の芯が凍りついた気がした。
「いいじゃん、別に一緒に帰るぐらい。手ぇ出すワケでもないしさ」
 ニヤニヤと浮べられた笑みは、水希の苦痛など欠片も気付いてないようで。
「俺、水希ちゃんみたいな子タイプなんだよねー。大丈夫、その内絶対慣れるから。ね?」
 そうして彰正の手が、馴れ馴れしく水希の肩に触れた。
 その瞬間、水希はゾクッとした嫌悪を感じ、思わずその手を振り払った。
「っ嫌!」
 手を振り払われた当の彰正は、その事に顔を歪ませ、チッと舌打ちする。
「……折角、優しくしてやってんのに……うっぜーな」
 その言葉に水希は身の危険を感じて、反射的に走り出していた。
「っオイ、待てよコラ!」
 だがすぐに腕を強い力で掴まれ、水希は首を横に振るしかできなかった。
 もう怖くて声も出せない。
 水希は思わず、目をギュッと瞑った。

 すると直後、掴まれた腕が自由になった。
 その事に目を開けて見てみると。
「た、くみ……さん……」
 そこには相手の腕を掴んでいる工の姿があった。
「な、何だよテメェ!離しやがれっ」
 彰正にしてみれば、突然見知らぬ男に腕を掴まれたのだ。彼は驚いてその手を振り払おうとする。
 だが、工はかなり強く掴んでいるのか、全く外れる気配は無く、逆に彰正は痛みに顔を歪めていた。
「は、離せって!」
 そう言う彰正に、工は口を開く。

「……この腕、へし折られたくなかったら、今後一切、彼女の前に姿を現すな」

 その声はいつもの工よりも数段低い声で。
 それが何だかとても怖い、と水希は思った。
 そして彰正も同様に思ったのか、顔を引き攣らせると激しく頷く。
「わ、分かった、約束するっ!もう彼女には関わらないから!」
 それを聞いた工は、掴んでいた彰正の腕を離してやる。
 すると彰正は、その場から慌てて逃げ出した。

「水希さん、大丈夫でしたか?」
 そう言った工の様子は、もういつもの通りで。
 水希は思わず工に抱き付いていた。
「工さん……怖かったです……っ」
「もう平気ですよ。それにしても……ああいった輩は、一人で対応しようとしてはダメですよ?今度からはちゃんと俺に言って下さい」
 窘めるようにそう言われ、水希は申し訳なく思う。
「はい……すみませんでした」
「……でもこれで、水希さんの悩みは解決できたんですよね?」
「はい、ありがとうございます」
 ニッコリと笑みを浮べる工にそうお礼を返して、水希はふと思った。
「あの……ですがどうして、工さんがここに……?」
 通常なら今の時間帯は、まだ工は現場で仕事中のハズだ。
 今日は仕事がお休みなワケでもないし、まして雨なんて降ってもいない。

 すると工は言いにくそうに口を開いた。
「実は……どうしても水希さんの事が気になってしまって……親方に言って、仕事場をちょっと抜けさせてもらったんです」
 その事実に水希は目を瞠る。
「でもよかった。水希さんが無事で」
 そう言って工は、水希をギュッと抱き締める。
 その体は、心なしか震えているようだった。
 その事に気付いた水希は、ギュッと抱き締め返した。
「ごめんなさい、言えなくて……」
 そうして二人は、暫くそのまま抱き合っていた。


 二人で並んで歩きながら、水希は彰正の事を簡単に説明した。
「……私、この事を聞いたら工さんが不快に思うと思って……」
「……確かに不快ですね」
 そう言いながら、工は眉根を寄せる。
「でも、これだけは信じて下さい。私、彼と一緒にいるのは苦痛でしかなかったんです」
 そう言う水希はどこか必死で。

 それはそうだろう。
 誰だって、好きな人には誤解されたくない。

「私が唯一、一緒にいて心休まる男の人は、工さんだけです」

 その言葉はまるで、最大級の愛の告白のように聞こえて。
 工は嬉しさに顔を綻ばせた。
「俺だけ、ですか?」
 改めてそう聞かれて、水希は顔を真っ赤にさせながら頷く。
「はい。あ、勿論祖父と父以外で、ですよ?」
「それはそうでしょう。でも……ご家族以外で俺だけ、というのは、嬉しいです」
 工がそう言うと、水希はおずおずといった感じで聞いてきた。
「あの……工さん、は……」
 それだけで水希の言いたい事を察した工は、柔らかな笑顔で言う。
「俺も、水希さんといる時が一番、心が休まりますよ」
 すると水希は嬉しそうに、はにかんだ笑顔を浮べた。
 それを見て工は、穏やかに目を細めて言う。
「お互いに心が相手に向かってるんです。休まるのは当然でしょう?」
「心が……?」
「はい。相手を想う、というのは、相手に心が向かってる事だと思うんです。心の向かうその先に相手の心があれば、やっぱり安心できると思います」
「心の向かう先……確かにその先に相手の心があれば、それはとても幸せな事ですよね」
 感激したようにそう言う水希に、工は笑顔で、だがどこか真剣な表情で言う。

「俺の心の向かう先は、水希さんです」

 それに答えるように、水希も真剣な表情で言う。

「私の心の向かう先も、工さんです」

 そうして二人はどちらからともなく、互いに惹かれ合うようにしてキスを交わした。


 ヒトが誰かを想う時。
 心は相手に向かって行くものだから。
 その心の向かう先に相手の心があるというのは、とても幸せな事。


=Fin=